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-「裁判の公正」を気にしてみる(3)-「ものつくり屋」(5/31-08:12)No.143165
 「公正」は目的ですからね-「ものつくり屋」(5/31-08:28)No.143166
 妄想するのではなく理想を追う-ぽちこ(5/31-08:36)No.143168
 Re:「公正」は目的ですからね-酔うぞ(5/31-08:48)No.143169
  なぜ「公正」は必要か?-「ものつくり屋」(5/31-09:25)No.143170
   コレが江戸時代なら-renoma(5/31-10:55)No.143175
    抑止力論-「ものつくり屋」(5/31-11:15)No.143177
 ゆきさんへ-renoma(5/31-09:38)No.143171
 jrbnRe:ゆきさんへ-「ものつくり屋」(5/31-09:46)No.143172
 マスコミの怖さ-「ものつくり屋」(5/31-10:07)No.143173
 マスメディアの影響&情報の信憑性-ぽちこ(6/1-00:43)No.143195
  陰謀とかではなく「成り行き」の怖さ-「ものつくり屋」(6/1-08:39)No.143198
   陰謀より「成り行き」の方が怖い。-ぽちこ(6/1-22:49)No.143225
 renomaさんへ-ゆき(5/31-19:29)No.143186
  もっと高い次元のお話だったんですね。-renoma(5/31-21:11)No.143189
   Re:もっと高い次元のお話だったんですね。-ゆき(5/31-23:07)No.143194
 理解していないと損をする、「発言の自由」と「解釈の自由」-dukeマシラ(5/31-10:49)No.143174
 発言の意図-ぽちこ(5/31-14:58)No.143182
  タイトル「発言の意図」について-ぽちこ(5/31-15:16)No.143183
  望む、望まないにかかわらず「タイトルから既に勝負は始まっている」-dukeマシラ(5/31-16:35)No.143184
   発言の意図とテクニックについて-ぽちこ(6/1-02:03)No.143196
    訂正箇所あり-ぽちこ(6/1-02:13)No.143197
    無益な争いが好きなら読まないで下さい。「5W1Hの必要性」-dukeマシラ(6/1-14:01)No.143203
     当り前のことを見直す作業-ぽちこ(6/2-11:17)No.143234
 きゃんたさんへ-ゆき(5/31-11:03)No.143176
 他人事ではない?法廷における“戦略”と“戦術”-dukeマシラ(5/31-13:12)No.143181
  窮余の策でしょうね-「ものつくり屋」(5/31-17:27)No.143185
   Re:窮余の策でしょうね-ゆき(6/4-12:15)No.143290
   続きです。-ゆき(6/4-12:15)No.143291
 「ものつくり屋さん」へ-ゆき(5/31-11:56)No.143178
  Re:「ものつくり屋さん」へ-酔うぞ(5/31-12:18)No.143179
  酔うぞさんへ、裁判員制度というもの-ゆき(6/1-11:36)No.143200
  続きです-ゆき(6/1-11:38)No.143201
   私がレスするべきで無いかも知れないけど-「ものつくり屋」(6/1-14:26)No.143204
   Re:私がレスするべきで無いかも知れないけど-ゆき(6/2-16:23)No.143242
   続きです。-ゆき(6/2-16:25)No.143244
    裁判を社会に近づけるという意義-「ものつくり屋」(6/2-18:04)No.143250
    Re:裁判を社会に近づけるという意義-ゆき(6/6-11:57)No.143319
     有機性のある量刑-「ものつくり屋」(6/6-12:38)No.143320
    Re:続きです。-酔うぞ(6/3-02:25)No.143260
     Re:続きです。-ゆき(6/4-12:37)No.143293
      Re:続きです。-酔うぞ(6/4-18:27)No.143296
       Re:続きですの続きです-酔うぞ(6/4-18:27)No.143297
       少し補足:凶悪性判断もまた基本は感情です-「ものつくり屋」(6/5-08:41)No.143303
        Re:少し補足:凶悪性判断もまた基本は感情です-ゆき(6/6-11:55)No.143318
         Re:少し補足:凶悪性判断もまた基本は感情です-酔うぞ(6/6-13:12)No.143325
   Re:続きです-酔うぞ(6/2-14:53)No.143240
    Re:続きです-ゆき(6/4-12:23)No.143292
  一緒に書いた話を考えて欲しいのね-「ものつくり屋」(5/31-12:24)No.143180
   ものつくり屋さんへ-ゆき(5/31-19:48)No.143187
    区分できないのね-「ものつくり屋」(6/1-13:11)No.143202
     Re:区分できないのね-ゆき(6/2-16:20)No.143241


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143165「裁判の公正」を気にしてみる(3)「ものつくり屋」 5/31-08:12

こんにちは、皆さん。もう少し、いろいろな視点から考えてみましょう。

まず、ゆきさんの

>私はこの事件の弁護側(被告の主張)の主張をみてあいた口がふさがらな

>ったですし、反射的な怒りを覚えました。

とのことですが、なんて言いますかね、検察側控訴の「量刑不当」の
弁論で、弁護側が「事実誤認があるので差し戻されたい」という論を
張るという事は、珍しい訳ですが、その論の内容として、「どうして
皆さんは、そんなに気にするのですか?」と言いたくなる程度の事で
しか無い様に思えたりします(うまく弁護では無いと思うけど、1審
の事実審理で主張されるなら、普通にありそうな弁護ですから)。別
な枝にも書いていますが、どこかの刑事事件の裁判でも傍聴されれば、
そんなに珍しくもなく聞ける程度の弁護だと思うんですね。日本のマ
スコミは、逮捕までは丹念に追うくせに、その後の刑事裁判なんて「
判決が出た」くらいしか報道しないから、刑事裁判の中でのやりとり
なんて知らなくて当然とは思うんだけどね。

なんていうか、大きなビルが立ち並ぶ町に普通に住んでいる人が、何
かの拍子に鳶職さんが高所で作業しているのを見て「こんなに危険な
作業なんて止めさせなくては」と言い出した様な感じです。その人に
限らず、多くの鳶職が同じ様な高所作業をしているとかには、何にも
意識がいかない訳ですね。

なんとなく「捕鯨禁止論」の事を思い出しました。日本の捕鯨船は、
きちんとルールを守って、資源保護を考えながら鯨を捕っていたので
すが、禁止団体が捕鯨母船の上で鯨が解体され、大量の血が流れ出す
映像を流すことで、ヨーロッパの多くを「捕鯨禁止」の意識にした訳
ですね。

なんていうか、「自分の開いた口がふさがらない」からといって、裁
判官が、「そう思わなければならない」のでしょうか?

私の友人に科捜研の人がいますが、尿から覚醒剤の反応は出たけど持
っては居なかった被告人の裁判で証人なんてのをやると、ネチネチと
弁護士に尋問されるのだけど、その中には「君は経験が足りないので
はないか」「休日に呼び出されて分析したので、いい加減だったので
はないか」みたいな「嫌らしい」尋問も多い訳ですね。「そこで腹を
立てていたら僕らの仕事は勤まらないよ」という訳です。

というわけで、若くて「性格に偏りがあり、事実に正面から向き合う
事を避けようとする」と鑑別意見書に記載のあるような被告人が、「
事実はこうです」と1審で断片的に述べたことを、交代した弁護士が
断片的でなくつなぎ合わせて、「全体としてもう一度考えてみてくだ
さい」とだした(のだろうと思う)だけの事を、皆さんは「びっくり
される」のは分かるけど、似たような事にしょちゅうさらされている
裁判官が「びっくりしなくてはならない」理由を考えてみてください。

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143166「公正」は目的ですからね「ものつくり屋」 5/31-08:28
記事番号143165へのコメント
こんにちは、トドさん。

>私は「公正」なんてものは、この世に存在しないものだと思ってます。
>でも存在しないから「公正」を考えなくて良い、ということではありませ
ん。

なんていうか、「公正」というのは、まだ登り切れない山の頂上の
様なものかも知れません。でも「この山の頂上に登ろう」とベース
キャンプやアタックキャンプを作らなければ、「自分がどこに向い
て登っているのか」も分からなくなりますよね。

>現実には存在しない「公正」というものを論理の中心に置いて、それを物
差し
>にして評価・判断しようすることが人として出来る最善の道だと思ってい
ます

その通りなんですが、なんていうか、「システム」として「公正」
という頂上を目指す形で組み上げていくという意味でいうと、登山
のたとえの方が私にはしっくりするわけです。「頂上を目指す」と
いう目的意識を「物差し」とするなら、裁判制度を「検事・弁護士・
裁判官の3者の役割分業」という形で組み上げるのは、頂上にアタ
ックするための資材をひたすら運んでベースキャンプを組み上げて
いくのに似ている様に思える訳ですね。つまり、物差しの例えが、
「目的意識」とするなら、ベースキャンプのたとえ話は「プロセス
設計」の話になります。

ベースキャンプは頂上ではないけど、頂上を目指して設営されるも
のです。「ベースキャンプは頂上では無いから、意味がない」とい
う考え方が出るのは、「頂上に達することを安易に考えている」だ
けに他ならない訳です。

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143168妄想するのではなく理想を追うぽちこ 5/31-08:36
記事番号143166へのコメント
書いている間に、新しいツリーになっていたので、コピペします。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
おはようございます。私も考えてみました。

>現実には存在しない「公正」というものを論理の中心に置いて、それを物差

>にして評価・判断しようすることが人として出来る最善の道だと思っていま
す。

そうですね。そしてまた、あるべき姿を想像し、それに到達できないとして
も、
近づこうとすることも大切だと思います。

>こういう考え方は理系の人には普通の分かり易いものだと思うのですが、そ

>でない方も多いのですね。仕方無いことではありますが。
> #理数系の教育が足らないからでしょうか(笑)

私もどちらかというと理系です。(笑)
そして、真の科学者は、ロマンチストだと思っているのですが、それもなか
なか分かってもらえないようです。


>さて、それでは、現実的な公正、ということを求めるにはどうするか、とい

>方方論になる訳ですが、基本的な落し所としては「納得」でしょうか。
>「まぁまぁ『公正』だな」と関係者全員が納得する、というのが現実的に目

>すところなのではないか、と。
>ところが、やはり全員が納得するというのは結構ハードルが高く、誰かが
「い
>いや、その裁定には納得出来ん」と言い出せばまた最初からやり直しになっ

>しまいます。

何が公正なのかを議論しながら、一方では、限られた時間(人間の最大の足
かせですね)の中で、その場の結論を出さねばならないことが多いので、完
全を実現することは出来なくて、だからこそ人は考えなければならないので
すね。

>それでも我が国のやり方として、出来るだけ全員に「納得」してもらおうと

>う仕組みというかスタンスが出来ていて、私としては有り難いし「民意」が

>いと誇れる部分では有りますね。

「完全な『公正』が存在しないならそれを求めることは無駄だから止めまし

う」なんて事になったら、無法地帯ですね。
仕組みづくりも誰かがどこかで作っているのではなく、私たち一人一人が作
って
いるはずなのに、人任せでそれに参加しない人は、まあまあ「公正」の取り
残さ
れた部分だけ見て、妄想に駆られるようです。

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143169Re:「公正」は目的ですからね酔うぞ 5/31-08:48
記事番号143166へのコメント
「ものつくり屋」さんは No.143166「「公正」は目的ですからね」で書きました。

どうもですね、「公正」をデジタル的なモノとして捉えるのか、
アナログ的な概念として捉えるのか、といったことなのかな?
という気がしてきました。

わたしは「アナログ的な概念」とするべきだと思うので「公正か?」は
判断のデジタル的スイッチとしては機能しない。と見るわけです。

日本の法体系は全体として「解釈するもの」ですから、テレビ映画のような
「絶対的証拠」というが実務的には現れない。
だいたい証拠は採用するかしないかというところから争いになりますから
「証拠だけで絶対」はあり得ないんですけどね。

その上に日本の法律は個々の条文に解釈の余地がありますから、
最近の新たな法律(案)に対しては警察などの現場から
「そんな法律は無くても良い」という声も出ています。

そういう世界では「公正の程度」は確かに高級なところを目指す
つまり「より公正を目指す」のは当然でありますが「公正でないから排する」
ということには出来ません。

そもそも「ある時期の公正は、他の時点は優先されない」という面があります。
そういう時代に伴って動くような価値観の一つだとなると「絶対的な公正」
はやはり哲学的な命題の域を超えないのでしょう。

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143170なぜ「公正」は必要か?「ものつくり屋」 5/31-09:25
記事番号143169へのコメント
こんにちは、酔うぞさん。

もともと、社会におけるルール(法令・倫理・道徳・マナーなど全て)と
いうのは「社会が手を抜く手段」だと思うわけです。大元から考えるとそ
うなってしまうのね。

1.人は社会という人の群れに居ることを単独で生きるより好むし、また
その方が生きやすい生物である。

2.そのために、人は「生きやすい群れを永続的維持するために必要なこ
と」については、個々の欲求より優先させなくてはならない。

3.「生きやすい群れの永続的維持」のために必要なこととは「自分が為
されて嫌なこと、困ることは人に為さない」に収束する。

4.本来、群れ内部で起こる様々な事象について3.に照らして群れ全体
で判断するべきだが、群れが大きくなると個々に判定していられなくなる
ため、判断の基準とすべき「規範」を群れの共通意識として定める事にな
る。これが、社会のルールとしての法令・倫理・道徳・マナーなどである。
その際に2.および3.の概念から、その規範が群れの構成者全てに平等
に適用されることの必要性が認識される。これが、「法の下の平等」であ
る。

5.この規範について、「規範を守らせる(強制する)」システムができ
る。ここでも2.および3.の概念から、そのシステムが群れの全ての構
成者に平等に運営される事の必要性が認識される。これが「裁判の公正」
である。

>その上に日本の法律は個々の条文に解釈の余地がありますから、
>最近の新たな法律(案)に対しては警察などの現場から
>「そんな法律は無くても良い」という声も出ています。

このように、法という規範そのものが本来、4.のように社会全体が集ま
って判断することを「手抜き」するために典型事例をモデルに作られます
から個々の事象に対して「解釈」が生ずるのが当然なんです。

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143175コレが江戸時代ならrenoma 5/31-10:55
記事番号143170へのコメント
こんにちは、「ものつくり屋」さん皆さん。

江戸時代に同じ事が起こったら、間違いなく『市中引き回しの上、
しばき倒してはりつけ』なのでしょうね。

愛する者を惨殺された人間の感情は、江戸時代でも現在も変わらないと
思いますが、刑罰が納得出来るから江戸時代に生まれればよかった等
とは思いません。良い所も有る反面、侍に試し切りされたり簡単に
人身売買されたりするからです。

かといって犯罪や加害者を絶対に許すモノでは有りませんが、
何とか調和を保ちながら、今も変化しつつあるのが救いです。
その為にも、私たちが間違ってると思うことについて怒ったりキチンと
調べたりすることは大事なのですね?

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143177抑止力論「ものつくり屋」 5/31-11:15
記事番号143175へのコメント
こんにちは、renomaさん。たぶん気づかれてはおられないだろうけど
実は「刑罰論」の根幹にかなり近いご指摘なんです。

>江戸時代に同じ事が起こったら、間違いなく『市中引き回しの上、
>しばき倒してはりつけ』なのでしょうね。

江戸時代というのは、非常に犯罪の少ない時代なんです。その理由の
一つは、上に書かれた「厳罰性」もあるんですが、もう一つは「連座
性」による「未然に防ぐ、防げそうに無い者は、始末してしまう」に
あります。

江戸時代の特徴は「人別」にあるんです。人別というと「戸籍」の様
に教わったと思いますが、実はこの戸籍は「誰かが罪を犯したときに
どこまで連座させるか」という事も示しているわけです。まあ、連座
と言っても、「一緒に打ち首」という事は無いんですが、今回の様な
事があると、犯人は「獄門」つまり、打ち首の後、首をさらされると
いう事になるのですが、未然に防げなかった、犯人の家族やあるいは
5人組と言われる人、その上の庄屋や名主などに、「謹慎」とか「き
つくしかり置く」とかがあり、そして、それを受けると社会からつま
はじきにされるという社会的制裁が加わったわけです。そしてその上
に民事賠償責任にあたるものが、その連座の人たちに架せられたりし
ました。

でもって、連座を逃れる方法として、「こいつは悪いことをしそうだ」
と5人組の長が判断すると、「この者の人別をハズしてください」と
庄屋や名主に願い出る事ができました。庄屋や名主もその願いが確か
だと自分にも連座が及びますから「人別ハズし」俗に言う「勘当」で
すが、その証書を書いて周りに知らせます。実は人別からはずされる
と、寝るところもなければ食うための仕事も与えられません。それを
提供した者が「連座」の対象とされるからです。そして飢えて悪いこ
とを仕掛けたときに殺しても殺人になりません。人別を持たない者は
そこらの野生動物と同じ扱いだからです。こうやって、未然に防ぐ措
置をシステム化することで、犯罪率を低くおさえていました。

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143171ゆきさんへrenoma 5/31-09:38
記事番号143165へのコメント
はじめまして、ゆきさん。

「自分には殺意はなかった。ただ甘えかかったら窒息した」のような主張を
聞いて、ゆきさんが「あいた口がふさがらなかった」ように私も椅子から
転げ落ちそうになりました。驚きと怒りで。

最初は、こんな荒唐無稽な弁明を許す裁判制度にも怒りが沸きました。
ゆきさんも同様だと思いますが、何故こんなに気にするのか?
それは、判決に影響を与えるかも知れない、ウソで裁判の公正が
失われるかも知れないと危惧されたのではありませんか?
殺害された被害者はウソどころか、苦しかった事も伝えられませんから。

私も最初はその事にとらわれてたのですが、前ツリー「ものつくり屋」さん
の、No.143137と143126 を読んで見て下さい(既読だったらすみません)
一部抜粋させていただきます。

>この裁判の被告人は1審で「暴行目的の計画性の否認」とか「殺意
>の否認」とかもしていますが、全て1審で退けられています。それ
>も決して裁判官が気分で退けている訳では無いんです。「会社を休
>んでいるのに、会社の作業服を着て、被害者宅を訪問し、水道工事
>の関連を装って部屋に入った」事などの事実から、「婦女暴行の目
>的で計画的に訪問」とかいう判断になっている訳です。

と1審で退けられ、判決に影響を与えるような説得力等ありません。
例えば、作業用の書類をゴッソリ渡されたら、作業前に不要なゴミ書類を
バッサバッサ除外します。そして作業途中で、間違った書類や手抜き書類を
戻しクレームを付けます(現実では言いませんが)
作業が中断する、修正ややり直しの2度手間が発生する等。

先の荒唐無稽な弁明は、作業前にバッサバッサ除外したゴミ書類に当たる
のだと、思います。書類を渡す側は、後で足りないと困るのでとりあえず
全ての書類を渡すのが役割です。万が一にもゴミ書類が作業に使われる
事が有るかも知れません。勝手に切り捨てることは出来ないのです。
スムーズにかつクレームを少なく作業を進めるには必要な事なのですね。

そう思ったら公正な裁判のためには、ゴミと決めつけず弁明をきちんと
聞く必要があるのです。
でもゴミ書類がちゃんとした作業に使われる事はありません。
何かの間違いで、見直したりすることは有りますが。





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143172jrbnRe:ゆきさんへ「ものつくり屋」 5/31-09:46
記事番号143171へのコメント
renomaさんは No.143171「ゆきさんへ」で書きました。
>はじめまして、ゆきさん。
>
>「自分には殺意はなかった。ただ甘えかかったら窒息した」のような主張を
>聞いて、ゆきさんが「あいた口がふさがらなかった」ように私も椅子から
>転げ落ちそうになりました。驚きと怒りで。
>
>最初は、こんな荒唐無稽な弁明を許す裁判制度にも怒りが沸きました。
>ゆきさんも同様だと思いますが、何故こんなに気にするのか?
>それは、判決に影響を与えるかも知れない、ウソで裁判の公正が
>失われるかも知れないと危惧されたのではありませんか?
>殺害された被害者はウソどころか、苦しかった事も伝えられませんから。
>
>私も最初はその事にとらわれてたのですが、前ツリー「ものつくり屋」さん
>の、No.143137と143126 を読んで見て下さい(既読だったらすみません)
>一部抜粋させていただきます。
>
>>この裁判の被告人は1審で「暴行目的の計画性の否認」とか「殺意
>>の否認」とかもしていますが、全て1審で退けられています。それ
>>も決して裁判官が気分で退けている訳では無いんです。「会社を休
>>んでいるのに、会社の作業服を着て、被害者宅を訪問し、水道工事
>>の関連を装って部屋に入った」事などの事実から、「婦女暴行の目
>>的で計画的に訪問」とかいう判断になっている訳です。
>
>と1審で退けられ、判決に影響を与えるような説得力等ありません。
>例えば、作業用の書類をゴッソリ渡されたら、作業前に不要なゴミ書類を
>バッサバッサ除外します。そして作業途中で、間違った書類や手抜き書類を
>戻しクレームを付けます(現実では言いませんが)
>作業が中断する、修正ややり直しの2度手間が発生する等。
>
>先の荒唐無稽な弁明は、作業前にバッサバッサ除外したゴミ書類に当たる
>のだと、思います。書類を渡す側は、後で足りないと困るのでとりあえず
>全ての書類を渡すのが役割です。万が一にもゴミ書類が作業に使われる
>事が有るかも知れません。勝手に切り捨てることは出来ないのです。
>スムーズにかつクレームを少なく作業を進めるには必要な事なのですね。
>
>そう思ったら公正な裁判のためには、ゴミと決めつけず弁明をきちんと
>聞く必要があるのです。
>でもゴミ書類がちゃんとした作業に使われる事はありません。
>何かの間違いで、見直したりすることは有りますが。
>
>
>
>
>

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143173マスコミの怖さ「ものつくり屋」 5/31-10:07
記事番号143171へのコメント
こんにちは、renomaさん、ゆきさん。

>そう思ったら公正な裁判のためには、ゴミと決めつけず弁明をきちんと
>聞く必要があるのです。
>でもゴミ書類がちゃんとした作業に使われる事はありません。
>何かの間違いで、見直したりすることは有りますが。

なんていうか、マスメディアの怖さみたいなものを感じるんです。捕
鯨禁止の話なんかも書いていますが、どれほど、鯨の頭数調査を示そ
うと、資源保護に配慮した捕獲をしていると説明しようと、目の前に
大量に流れ出る血の映像の前には無力です。そして「残酷だから禁止」
と言う人が昼食に食べた牛肉の牛も解体の時に血を流した事なんて、
思い浮かべたりされないのです、なぜなら「見ていない」からです。

科捜研の知人の話をしましたが、嫌になるほど「真面目」な男です。
たとえ100回尿の覚醒剤代謝物の分析をさせられても、そのたびに
「この結果一つで、人の人生を変えてしまうかも知れない」と自分に
言い聞かせて、真摯に結果を出そうとするような男です。そういう人
間が弁護士に「下手なのではないか」「休日に呼び出されたから、手
を抜いたのではないか」とイチャモンをつけられる。たぶん「そんな
ことありませんよ」と腹が立たないはずもないでしょう。だからと言
ってその男は「弁護士はおかしい」とは思わない訳です。それが、弁
護士の仕事であり、また、そういうイチャモンに時折さらされる事が
「この結果一つで、人の人生を変えてしまうかも知れない」と常に真
摯に分析をすることにもつながっているからです。

普通の人が日頃は見ないですませている弁護士の「あの可能性、この
可能性」という時には荒唐無稽にも見えるかもしれない可能性追求を
予備知識もなにも伝えずにポンと取り出して「馬鹿だ、荒唐無稽だ」
とはやし立てる。確かに「面白い」でしょう。しかし、その結果とし
て、皆さんが「弁護士に可能性の追求はさせるな、荒唐無稽な可能性
は口にするな」というなら、やがて弁護士は「プロの分析人が分析し
た結果だから、間違いの可能性を口にしたら荒唐無稽と攻撃される」
と「下手なのではないか」「手抜きは無いか」とは言わなくなる成る
でしょう。その時捕まっているのは、たまたま酔って言動の怪しかっ
たrenomaさん、ゆきさんかもしれません。そして、裁判でイチャモン
を付けられなくなって気がゆるんだ分析人が参照物質を紛れ込ませて
しまった分析データを出すかも知れませんね。

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143195マスメディアの影響&情報の信憑性ぽちこ 6/1-00:43
記事番号143173へのコメント
こんばんは。おじゃまします。

>>そう思ったら公正な裁判のためには、ゴミと決めつけず弁明をきちんと
>>聞く必要があるのです。
>>でもゴミ書類がちゃんとした作業に使われる事はありません。
>>何かの間違いで、見直したりすることは有りますが。

私には、この文章の意味が理解できませんが、

>なんていうか、マスメディアの怖さみたいなものを感じるんです。

私もそうなので(とはいっても怖がり方や程度は、もちろん違うでしょう
が・・・)少し意見を述べさせていただきたいと思いました。

>捕鯨禁止の話なんかも書いていますが、どれほど、鯨の頭数調査を示そ
>うと、資源保護に配慮した捕獲をしていると説明しようと、目の前に
>大量に流れ出る血の映像の前には無力です。そして「残酷だから禁止」
>と言う人が昼食に食べた牛肉の牛も解体の時に血を流した事なんて、
>思い浮かべたりされないのです、なぜなら「見ていない」からです。

以前、私が、No.142990やNo.142971、No.142992でも書いたように、一見、確
かな情報のように見える新聞、テレビのニュースでさえ、人の手が入ってい
る限り、操作された情報である(嘘が含まれるということでなく、全てを伝
えているわけではないということ)という意識を持つことは、大事だと再確
認しました。また、血の流れる映像を見て、感情的になり、「残酷だから禁
止」を大声で叫ぶ人たちには、落ち着いてもっと詳しい情報を集めること、
簡単に煽られなくなるために、いろいろな経験を積み、いろいろな人の話を
聞き、良く考えることをして欲しいなあと思います。もちろん、自分も、そ
れを心がけています。とはいっても、日々、修行中の身ですが・・・・

報道やドキュメント番組ですら、こういう警戒が必要だと思っているのに、
ドラマを見て事実と錯覚したり、悪役演じる俳優さんは私生活でも悪人だと
思ったり、お笑い芸人は皆バカだと思ったりする人も少なくないというの
が、もっともっと怖いです。そしてまた、そういう人に限って、自分の感覚
と違う意見についてはまったく聞く耳を持たないように思えます。

科捜研のお知り合いの方のお話、興味深かったです。このような、自分の知
らない世界については、安易に妄想して意見を述べるのではなく、どんなも
のなのかを尋ねるところから始める方が、面白い話がいろいろ聞けますね。

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143198陰謀とかではなく「成り行き」の怖さ「ものつくり屋」 6/1-08:39
記事番号143195へのコメント
こんにちは、ぽちこさん。

>以前、私が、No.142990やNo.142971、No.142992でも書いたように、一見、確
>かな情報のように見える新聞、テレビのニュースでさえ、人の手が入ってい
>る限り、操作された情報である(嘘が含まれるということでなく、全てを伝
>えているわけではないということ)という意識を持つことは、大事だと再確
>認しました。

なんていうか、こういう話の時に決まって「陰謀論」みたいな考え方も出て
くる訳です。なんていうか、人の知らない悪の組織とか、あるいは政治の黒
幕みたいなのがマスメディアを操って情報を操作して・・・。なんて考え方
ですね。でも、実際にそういう計画的なものではなくて、「大衆の感情への
迎合」に過ぎないわけです。「こういう構成で報道した方が見て(読んで)
貰える」という部分です。

なんて言いますかね、人間が野生動物から抜け出す第1歩というのは、自分
の感情にまかせず「ちょっとまて」と考える事だったと思うんですね。それ
までは、目の前に餌があれば我先に奪って食っていた類人猿が、「ちょっと
まて、分け合おう」をし始めたとき、群れとして他の野生動物よりもはるか
に強い動物の群れができあがり、その結果として地球上で最も優勢な生物と
しての人間というものができたわけです。

ただ、人間の中にそういう「ちょっとまて、考えてみよう」が常にある訳で
は無いのです。むしろ「感情的になり、衝動的に判断する」という面の方が
基本で、その上に薄皮の様に「ちょっとまて、考えてみよう」がある感じで
す。そして、マスコミなんかの「こういう構成で報道した方が受けが良い」
という場合には、その表層の「ちょっとまて」に響くものではなく、その下
にある感情的な衝動的な判断に働きかけている訳です。

事例を言うと、日露戦争の講和条約というのは、「勝ったにしては、さほど
有利ではない条約」でした。現実に経済力の差がとても大きいロシアと戦争
して、日本は戦争をする経済力を使い果たしていて、ロシアにはまだ余力が
ある状態で、幸運にも「勝ったことにして講和できた」状態ですから巨額の
賠償金とかを要求できる状態では無いわけですね。その当時の政府はそのこ
とを痛感していましたから講和を急ぎました。国民はとても不満でした。よ
その国の戦争などを見ると、勝った国は負けた国に巨額の賠償を要求したり
している訳ですからね。「弱腰講和反対!」の声が日本中に広がり、講和の
全権大使は講和後に辞職するわけです。その当時、マスメディアの主力は新
聞でしたが、「弱腰政府」という論調だつたわけです。新聞社にもそういう
経済状況から「講和を急ぐ必要」の理解はあつたのですが、それを基本とし
た報道をすると、「新聞を買って貰えなくなる」訳です。つまり、大衆の意
識への「迎合」が生じた訳ですね。

こういう部分を少し考えて欲しい訳です。

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143225陰謀より「成り行き」の方が怖い。ぽちこ 6/1-22:49
記事番号143198へのコメント
「ものつくり屋」さん、皆さんこんばんは。

>なんていうか、こういう話の時に決まって「陰謀論」みたいな考え方も出て
>くる訳です。なんていうか、人の知らない悪の組織とか、あるいは政治の黒
>幕みたいなのがマスメディアを操って情報を操作して・・・。なんて考え方
>ですね。

私は、時々こういう「陰謀論」を妄想します。あくまでも個人的な楽しみとして
ですが。(笑)

>でも、実際にそういう計画的なものではなくて、「大衆の感情への
>迎合」に過ぎないわけです。「こういう構成で報道した方が見て(読んで)
>貰える」という部分です。

視聴率、販売部数を重視しているからでしょうか?テレビ局も新聞社も企業なの
で、それは仕方のないことなのでしょうか?

>そして、マスコミなんかの「こういう構成で報道した方が受けが良い」
>という場合には、その表層の「ちょっとまて」に響くものではなく、その下
>にある感情的な衝動的な判断に働きかけている訳です。

そうやって多くの人の「ちょっとまて」が置き去りにされていくとどうなるの
か・・・考えると怖いですね。そうするとますます考えないことの方に流されて
いく。
そういう社会は、陰謀によって操作されている社会よりもその事態に気がつきに
くいと思うので、いっそう、よく考えることを大切にしたいと思います。

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143186renomaさんへゆき 5/31-19:29
記事番号143171へのコメント
お返事ありがとうございます。

>最初は、こんな荒唐無稽な弁明を許す裁判制度にも怒りが沸きました。
>ゆきさんも同様だと思いますが、何故こんなに気にするのか?
>それは、判決に影響を与えるかも知れない、ウソで裁判の公正が
>失われるかも知れないと危惧されたのではありませんか?
>殺害された被害者はウソどころか、苦しかった事も伝えられませんから。


という部分が、どうやら以下のあなたのご意見の大きな前提となっているよ
うなのですが、確かにビックリ仰天しましたしこの事件の被告という個人に
対する怒りはわきましたが、renomaさんのご意見の前提となっている「そん
な弁明を許す裁判制度に対する怒り」というものは私の中にはなかったので
す。
なので、大変申し訳ないのですが、「そんな弁明を許す裁判制度に対する怒
りが私の中にある」というのが前提となっている以下の部分についてはなん
ともお返事の差し上げようがないのです。

ただ、私の中にはあまりに荒唐無稽な話を裁判という場ですることは不誠実
であるという感覚があり、その不誠実さは過去の判決文を漏れ聞く限りでは
たいていの場合は被告に不利な判決を下す材料となっているという認識があ
ったのです。
だから、被告(弁護側)の主張それ自体には怒りは覚えましたが、裁判制度
に対する怒りや不信感にはまったく結びつかなかったのだと思います。
間接的なお返事しかできなくて申し訳ありませんが、こういうお返事しか差
し上げようがないのでお許しください。

また主張を審議することそのものが悪であるとも思っていないので、まあ、
あえて以下の部分にお返事差し上げるなら、審議はしてもかまわないと思い
ます。
ただ主張の内容自体が被告自身の首を自ら絞めているような気がするなあと
いうのが私の最初の投稿の大筋だったのです。
その部分についてはものつくり屋さんやきゃんたさんからのお返事でなんと
なくではありますがいただいてますので。。。

こんなレスですみません。

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143189もっと高い次元のお話だったんですね。renoma 5/31-21:11
記事番号143186へのコメント
ゆきさん、こんにちわ。

またまた私の早とちりで不要なレスを増やして申し訳ありません。

>ただ、私の中にはあまりに荒唐無稽な話を裁判という場ですることは不誠実
>であるという感覚があり、その不誠実さは過去の判決文を漏れ聞く限りでは
>たいていの場合は被告に不利な判決を下す材料となっているという認識があ
>ったのです

おっしゃる通り、裁判に限らず日常だったら突拍子のない言い訳や、
いかにもうそ臭い言い訳をしたら相手を怒らせたり逆効果ですよね。
裁判となると特殊な状況なので、そんな当たり前な事が当たり前じゃ
なくなるかもしれないと分からなくなってしまいます。

アクション映画や刑事ドラマで、権力者の悪行を端から無罪にする
お抱え弁護士がよく登場するでしょう?何だか凶悪加害者側の弁護士に
そんなイメージがあって、不誠実でも捏造してでも強引に無罪にする
ことも出来ると思ってました。

少し話がそれますが、今回の母子事件は自分から弁護を志願したのに
上告審口頭弁論を勝手に欠席した上にアノ弁明でおまけに疲労のせいか
お顔もむくんで目がギラギラしてて私の中ではどんどん悪徳弁護士に
仕上がってました。

「ものつくり屋さん」や「きゃんた」さんからのチャンとしたレスが
あるのに何も勉強せずに多くの馬鹿なレスつけて恥ずかしいです。

コチラこそよけいな手間を取らせてごめんなさいです。

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143194Re:もっと高い次元のお話だったんですね。ゆき 5/31-23:07
記事番号143189へのコメント
renomaさんは No.143189「もっと高い次元のお話だったんですね。」で書きまし
た。

私とrenomaさんでは疑問を抱いた焦点がちょっと違っていたというだけの話で、
どちらが次元が高くてどちらが低いという問題ではないと思います。(というか
「ものつくり屋」さんのような方からすれば私も十分次元の低い疑問をぶつけて
いると思われているのでは?という危惧が私にも同じようにあります)

また、裁判員制度の導入の前段階であるという今の状況において、renomaさんの
過去の一つ一つのご意見に賛成とはいえないものがけっこうあったものの、
renomaさんがこちらで今までにみなさんにぶつけてきた忌憚のない疑問はそれな
りに意義があるような気がします。(わたしの感じ方ですが。でも酔うぞさんも
そのようなレスを私あてにくれましたし・・・)
また、そのような忌憚のない疑問を真摯に意見交換のできる場でどなたかにぶつ
けることは大切なことだと思います。
ただこの場がそれにふさわしいのかどうかはわかりませんが、相手してくれる方
がいなければ意味がないので、知識のある方々がうっとうしがらずに真摯に同じ
目線で相手してくれるという点でありがたい場だなあと思います。

あまりレスする必要はなかった気もしますが(私のこの投稿内容のことです)、
ただ、「多くのバカな意見を出して恥ずかしい」と言う風に考える必要もないの
では?と思いますし、そうやって萎縮してしまって知識のない方や法について理
解の深くない方(私ももちろん含まれております、残念なことなのですが・・・)か
らの意見が出てこない状況というのはそれはそれでちょっとずれた議論になるの
ではと感じましたし、早めに訂正した方がいい気がすると思ったもので・・・。
このツリーのrenomaさんのレスは私宛のもの意外はまだちゃんと読んでいませ
ん。
これからゆっくりですがきちんと読ませていただきます。

あ、この投稿は特にレスする意味があるとも思えませんので、renomaさんに特に
大きな異論がなければレスは不要です。


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143174理解していないと損をする、「発言の自由」と「解釈の自由」dukeマシラ 5/31-10:49
記事番号143165へのコメント
「ものつくり屋」さん、皆様、こんにちは、dukeマシラです。

感情に駆られた、
得られる物の少ない言い争いが増えることを懸念して
表題の件について皆様にぜひご理解しておいて頂きたく
コメントさせて頂きます。

発言をする人は、
どんなことでも思った通りに書き込むことができます。
掲示板/会議室のルールに反した場合は管理人によって削除されたり
出入り禁止になる場合はありますが、
それ以外では誰人も
その行為を事前に禁止したり妨害することはできません。
つまり、どのような言葉でどのような内容の発言をしようと
それは書き込みをするあなたの自由です。

これが「発言の自由」、
適応範囲を拡げれば「表現の自由」とも言われる物です。

さて、思ったことを思った通りに発言しましたが
期待したようなレスが付きません。なぜでしょうか?



じつは、発言者であるあなたが書き込んだ内容を
どのように読んでどのように理解するかは
読む人それぞれの自由だからです。
その発言を読んだ人本人以外は
「どのように理解してどんな解釈をするか」を
コントロールすることはできません。
発言を読んでレスを付ける側に回った場合には
どんな理解の仕方をしてどんなレスを付けようとも、
やはりあなたの自由です。

これが、「解釈の自由」、
言い方を変えれば
「受け入れるか受け入れないか、どのような理解の仕方をするかは
受け取る側の自由にゆだねられる。」
と言うことになります。


「発言の自由」も「解釈の自由」も、
発言をする、あるいは発言を読むあなた自身以外に
誰も、何の制限を付けることはできません。

しかし、あなたの発言をどのように解釈して、
あなたに対してどのようなレスを付けるか
(レスを付けずに無視することも含めて)は
あなた以外の人の自由にやはりゆだねられる。



言葉を換えるなら、
誰かに何かを伝えようとする時には
重要なのはあなたが「何を発言しているか」ではなく
「それが相手にどのように伝わっているか」が重要です。

誰かか何かを聞き出したい場合や、
何かを教えてもらいたい場合は
あなたが「どう受け取ったか」よりも
相手が「何を言おうとしているか」が重要になります。

@掲示板/会議室だけではなく、
@日常生活全般にも適用されることですね。

このあたりのことを取り違えていると
いくら力を入れて活動をしても
何の成果も上がらずに
ただ疲れただけで終わってしまうことや
感情にまかせた言い合いで
不利益な結果に終わることにもなります。

思い当たることはありませんか?

自分が何を言ったかよりも
「相手にどう伝わったのか」が大切で、

自分がどう受け止めたかよりも
「相手が何を言わんとしているか」を読み取ることの方が重要だからこそ

日常には日常の、
WebにはWebの、
そして法廷には法廷における、

“戦略”も“戦術”も、
それぞれの場面における“作法”や“テクニック”も
ある訳なんですが、

通常では、
戦略が間違っている物を戦術レベルでどうにかできる物ではないですし

戦略・戦術が破綻をきたしているのに
個々の場面の作法やテクニックでひっくり返せる物ではないですよ。

以上、よろしいでしょうか?

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143182発言の意図ぽちこ 5/31-14:58
記事番号143174へのコメント
皆様こんにちは。
dukeマシラさん、前ツリーでは、あたたかいお言葉ありがとうございまし
た。危ない時は止めていただけそうなので、安心して突っ走れます。(笑)

私の感想を全文について細かく書いてしまうとまた、フライングになりそう
なので、ひとことだけ。

>通常では、
>戦略が間違っている物を戦術レベルでどうにかできる物ではないですし
>
>戦略・戦術が破綻をきたしているのに
>個々の場面の作法やテクニックでひっくり返せる物ではないですよ。
>
>以上、よろしいでしょうか?

はい、わかりました。
私が、どう理解したかを書いても良ければ、喜んで書かせていただきますの
でゴーサインください。

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143183タイトル「発言の意図」についてぽちこ 5/31-15:16
記事番号143182へのコメント
書いている途中でフライングかも・・・と思って内容を変えたので、タイト
ルがそぐわなくなってしまいました。
上のコメントのタイトルは‘Re:理解していないと損をする、「発言の自由」
と「解釈の自由」’です。

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143184望む、望まないにかかわらず「タイトルから既に勝負は始まっている」dukeマシラ 5/31-16:35
記事番号143182へのコメント
ぽちこさんこんにちは。
dukeマシラです。

え〜、

>はい、わかりました。
>私が、どう理解したかを書いても良ければ、喜んで書かせていただきますの
>でゴーサインください。
特に制限は付けませんので、ご感想を拝見出来ればありがたく思います。
先の発言でも書いた通りに
落ち着いた、得られる物のある議論をして頂きたくてアップした物です。
特に誰かからレスが付くことを期待した訳ではないのですが
反応があるとやはりうれしい物です。

ところで私が時々使う 

%タイトル%

というのは、先日サービスを終了したニフティーサーブが、
パソ通主体だった頃に一部フォーラムでよく使われていた物で、
「タイトルに注目」とか
「タイトルを思い出して下さい」と言った程度の丁符です。

この会議室のようなツリー型掲示板が主体でしたが
「タイトルを眺めれば話題の流れが
 およそつかめるようであることが望ましい」
とされていることが多かったので、
“Re>”とかにならないタイトルを付けるのに腐心したことを覚えています。

不特定多数に向けて発信する場合は特にそうですが、
タイトルだけ眺めた時点で関心を持ってもらえなければ
“全シカトでスルーされてしまう”こともあり得る訳ですので
タイトルの付け方一つとってもおろそかにできませんね。

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143196発言の意図とテクニックについてぽちこ 6/1-02:03
記事番号143184へのコメント
dukeマシラさん、皆さん、こんばんは。

夕方一度書き換えたのですが、半分くらい書いたところで操作ミスで消えてしま
い、「もう一度良く考えて書け」ということかなと思いつつ・・・

>特に誰かからレスが付くことを期待した訳ではないのですが
>反応があるとやはりうれしい物です。

手厳しいタイトルにもかかわらず、このような優しいお言葉で、またまた調子に
乗ってしまいそうです。最初に書いておきますが、ここからの私の発言内容は、
常に、私自身の反省も含んでいます。

>「発言の自由」も「解釈の自由」も、
>発言をする、あるいは発言を読むあなた自身以外に
>誰も、何の制限を付けることはできません。
>
>しかし、あなたの発言をどのように解釈して、
>あなたに対してどのようなレスを付けるか
>(レスを付けずに無視することも含めて)は
>あなた以外の人の自由にやはりゆだねられる。

発言の内容についてだけでなく、発言の仕方、解釈の仕方やレスの付け方につい
ても、自由であるが故に人間性が見えてくるので、良く考えることが大事という
ことでしょうか?

>言葉を換えるなら、
>誰かに何かを伝えようとする時には
>重要なのはあなたが「何を発言しているか」ではなく
>「それが相手にどのように伝わっているか」が重要です。

感情的に思いつくままを発言するのではなく、自分がただ「言いたいだけ」なの
か、相手に「わかって欲しい」のかを先ず考えて、分かって欲しいなら、分かる
ような伝え方をしなければならないと思います。
そして、この会議室は、議論の場なので、感情的な発言ではなく冷静な発言をす
ることが大事なのでしょう。でなければ、議論にはならないので。で、相手がど
んな考え方をする人かが分からないと、伝え方も分からないので、それまでの発
言から読み取れない場合は、議論に関係内容の思える質問も必要だと思うのです
が、この辺は、また教えていただきたいところです。

>誰かか何かを聞き出したい場合や、
>何かを教えてもらいたい場合は
>あなたが「どう受け取ったか」よりも
>相手が「何を言おうとしているか」が重要になります。

聞いたその場で感情的に判断するのではなく、相手が何を言いたいかを良く考え
て聞く=聞く耳を持つことが大事。議論においては、反対意見も、ばっさり切り捨
てるのではなく、何故そういうことをいうのかまで考えてみなければ、反論も出
来ないと思います。

>@掲示板/会議室だけではなく、
>@日常生活全般にも適用されることですね。

裁判においても、喧嘩の仲裁においても、5才の子供の「何故?」に答える時も
相手がいる場合には、全ての場合に適用されると思います。

>このあたりのことを取り違えていると
>いくら力を入れて活動をしても
>何の成果も上がらずに
>ただ疲れただけで終わってしまうことや
>感情にまかせた言い合いで
>不利益な結果に終わることにもなります。
>
>思い当たることはありませんか?

そして相手が悪い事にしてしまう・・・大きな反省点です。

>通常では、
>戦略が間違っている物を戦術レベルでどうにかできる物ではないですし
>
>戦略・戦術が破綻をきたしているのに
>個々の場面の作法やテクニックでひっくり返せる物ではないですよ。
>
>以上、よろしいでしょうか?

「何のために発言するのかを先ず考えてから」ということですね。

>不特定多数に向けて発信する場合は特にそうですが、
>タイトルだけ眺めた時点で関心を持ってもらえなければ
>“全シカトでスルーされてしまう”こともあり得る訳ですので
>タイトルの付け方一つとってもおろそかにできませんね。

読んでもらいたいならタイトルは大事。心に留めておきます。

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143197訂正箇所ありぽちこ 6/1-02:13
記事番号143196へのコメント
見直したはずなのに、訂正箇所が・・・無駄にツリーを大きくしてしまいます
ね。すみません。

>夕方一度書き換えたのですが、半分くらい書いたところで操作ミスで消えてしま
>い、「もう一度良く考えて書け」ということかなと思いつつ・・・

「書き換えた」ではなく「書きかけた」です。

>それまでの発言から読み取れない場合は、議論に関係内容の思える質問も必要だ
>と思うのですが、この辺は、また教えていただきたいところです。

「関係内容に思える」ではなく「関係無いように思える」です。


>裁判においても、喧嘩の仲裁においても、5才の子供の「何故?」に答える時も
>相手がいる場合には、全ての場合に適用されると思います。

「何故?」ではなく「なぜ?」です。(5才の子供の言葉ですから。)

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143203無益な争いが好きなら読まないで下さい。「5W1Hの必要性」dukeマシラ 6/1-14:01
記事番号143196へのコメント
ぽちこさん、この発言をお読みになっている皆様、こんにちは 。
@モバイルの付かないdukeマシラです。

無益な争いをしたいだけなら、
戦略を立て、戦術を整えて作法やテクニックを習得することも、
全く考える必要はない訳です。
ただひたすら感情の命ずるままに
やりたいことをやりたいように為すがよろしい。




誰も後始末はしてくれませんけどね?




あ、官憲のお世話になる可能性はあるのか(w?

この発言を開いて頂いていると言うことは、
今ご覧になっているあなたには
少なからず「無益な争いは避けたい」という意志がお有りなのだと
私は思いたいのですがいかがでしょうか?
先の発言における「発言の自由」と「解釈の自由」について
少々乱暴な要約をしてしまうと

『相手に話が伝わらない場合でも、
 相手の話が分からない場合でも、
 感情を爆発させて相手の所為にしてみても
 なにも得られる物がないばかりか
 返って損をするだけではないのですか?』

と言うことなのです。
理解してもらいやすい文章を書いたり発言をしたりするには
戦略を立てて戦術を組み、5W1Hを揃えて構成すると効果が高いのです。
5W1Hの詳細については、重ね重ねになりますが
Googleなどで検索してみて下さい。いろいろ興味深い話が読めます。
オプションが付いて6W2Hとかにも成ったりするようです。

逆に、今ひとつ意味のつかめない発言や文章から
なにがしかの物をつかみたい場合は
感情を爆発させているだけの部分を除外した上で
5W1Hに分解して足りない部分を予想してみると
理解するための手助けになります。

先のNo.143174発言について種明かしをしてしまうと
「会議室全体で、
 既に発生しているツリーにおいて
 感情にまかせたような無益な言い争いを減少させる
 また今後の新規投稿で、感情任せの発言が上げられることを予防する」
事がこの発言における戦略目標でした。

それに基づいて、
@私=dukeマシラの名前で
@ツリーにあまりレスが付かないうちに
@発言を読む可能性のある人全体を対象にして
@「発言と解釈双方の自由」についての解説を
@このツリーの元発言へのレスとして
@読んでいる人に直接語りかけるような文章を混ぜて
書き込みをした訳です。

戦術として成功しているか、
発言の作法として適切であったかどうかは
今後のこのツリーの各レス発言や
新規投稿のあり方に結果として表れてくることでしょう。
書き込みをした本人としては、
感情に駆られただけのような発言が
これまでの半分にでも成れば良い方かと思っています。

私=dukeマシラはこの会議室の管理人ではありませんので、
よけいなお世話と言われてしまえばその通りです。

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143234当り前のことを見直す作業ぽちこ 6/2-11:17
記事番号143203へのコメント
dukeマシラさん、皆様こんにちは。

>書き込みをした本人としては、
>感情に駆られただけのような発言が
>これまでの半分にでも成れば良い方かと思っています。
>
>私=dukeマシラはこの会議室の管理人ではありませんので、
>よけいなお世話と言われてしまえばその通りです。

私は、わざわざ言うこともないような当たり前の事でも、たまには、きっち
り指摘してもらわないと、調子に乗って突っ走ってしまうたちなので、duke
マシラさんに「ちょっとまて」と声をかけてもらってありがたかったです。
本当は、自分自身でその確認作業をしなければいけないんですけどね。

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143176きゃんたさんへゆき 5/31-11:03
記事番号143165へのコメント
お返事ありがとうございます。
こちらにつけたほうがよさそうな感じなので、こちらにつけますが分かりづ
らかったら申し訳ありません。

なるほど、言われてみれば、「殺意の否定=反省していない」というのはお
かしいというか短絡思考ですね。
そして、この事件については事件の性質上、そしてその後のマスコミから断
片的に入ってくる情報のため私の頭の中に無意識に『殺意があったことは絶
対に覆せない事実である』という思い込みがものすごく強くこびりついてる
のだろうなと思いました。

ようは全体として被告が罪を誠実に受け止めているかということですね。
そしてその誠実さというものは裁判一過程(この場合は殺意の否定となるの
でしょうか)だけを取り上げて裁定を下すべきものではなく、あくまで全体
として誠実であるかということなのですね。

ただ、やっぱり私の感覚だとこの事件に関しては被告は死刑を逃れるために
(弁論が開かれたことによって最高裁では一審・二審を覆して死刑判決の出
る可能性も被告が怯える程度には高まっているらしいから)その場しのぎの
嘘で殺意の否定の主張をしているだけのように感じますし、裁判という自分
の罪を審議する場でそのような自分の利益のためだけにその場しのぎの嘘の
殺意の否定を主張をすることは不誠実だと感じてしまいます。
そして不誠実な主張はやはり被告に結果として不利に働くような気がするの
ですが・・・。
そして、これが私個人の勝手な感じ方でしかないと社会の大多数の人に思わ
れてしまうとしたら、ちょっと私の人として社会で生きていくうえでのの基
本的なものの考え方に問題があるような所在無い気持ちになってしまうので
すが。
ただ、この「その場しのぎの嘘」という印象すらもマスコミによる一方的で
断片的な情報によって私の中で勝手に作り上げられた虚像である可能性も大
きいのかもしれないですしね・・・。

それに、被告の強い希望があったら別なのかもしれませんが、プロの弁護士
さんがいくらなんでもそこまでざるな主張(代弁?)を戦略ですると思えな
いですし、やはり殺意の否定は裁判の一過程でしかないのですよね。
どうもどういうわけか今回の殺意の否定は弁護側の戦略としてこのような主
張をしているかのような錯覚があって、その錯覚がどこから来たものなのか
自分でもさっぱり分からないのですが、まあたぶんやっぱりマスコミの情報
の中からそのような印象が自分の中に生まれてしまたのでしょうね。。。
マスコミの情報の中の事実の部分だけを取り上げるなら、戦略で主張してい
るのか被告の主張を代弁しているだけなのかはさっぱり分かりませんし。
(というかむしろよくよく考えてみると事実の部分だけを見るならば戦略と
いうよりは被告の代弁をしてるだけと解釈する方が妥当なのかなあとも思い
ます)
あまりに整合性のない主張のように感じてしまうため、逆に『これは何かの
戦略で言っているのだろうか???』と考えることによって自分の中で整合
性を見出そうとしたのかもしれません。

というようなことをいろいろと気づかされました。
まだ頭がだいぶこんがらがっている部分(一審・二審で殺意については明確
と出ているし、計画性もあったとされているのにここに来て『殺意の否定』
はやっぱりなんか被告に不利な気がするとか。全面的に認めて悔悛の意を主
張したほうが被告にとってもなんぼかいい結果が出そうな気がするとか。)
がけっこうあるのですが、勉強になりました。
ありがとうございました。

あと、ほかの方からレスいただいているようですが、これからゆっくり読ま
せていただきます。
お返事はゆっくりになりそうな気がしますが、お待ちいただけるありがたい
です。

「ものつくり屋」さんのタイトルで『マスコミの怖さ』というのがありまし
たが(すいません、内容はこれから読ませていただきます)、この事件につ
いてはそういう側面も色濃いのかもしれないなと思う部分も出てきました。

何かここでのルール違反などありましたら申し訳ありませんでした。

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143181他人事ではない?法廷における“戦略”と“戦術”dukeマシラ 5/31-13:12
記事番号143176へのコメント
ゆきさん、皆様、こんにちは。
dukeマシラです。

どこかで書いておいた方が良いだろうと思っていましたが、
「戦略」という言葉が出てきましたので
この枝へ付けさせて頂きます。

「戦略」と言う言葉を辞書で引くと、下記のように出てきます。
「長期的・全体的展望に立った闘争の準備・計画・運用の方法。
 戦略の具体的遂行である戦術とは区別される。」

法廷闘争を例にとれば、最終的にどんな判決を得ようとしているかが
“戦略”にあたるといえるでしょう。

話題の事件では、
検察側は1審及び2審の「無期懲役」判決に対して
「量刑不当」として上告しています。
つまり、飽くまで「死刑判決を要求する」のが“検察側の戦略”。

対する弁護側の戦略は、最低でも「無期懲役」の維持、
あわよくば「更なる減刑を求める」と言うことになりましょうか。


原告/被告双方が最終的に求める判決を得るために
裁定者である裁判官に
どれだけ説得力のある証拠や証言をそろえて
どのような弁論をするのかが“戦術”であると言っていいかと思います。

口頭弁論の場や資料提出は、
武器を持ってやり合う“戦闘の場面”になりますかね。


さて、どのような分野でも
あさっての方向を向いた戦略に従事しなければならない場合には
現場から見ると“とってもとんちんかん”な
効果があるとは思えない戦術が指示される場合があります。

ズレた戦術でもって立てられた作戦で現場が動かされた日には
下っ端が星の数ほどの無駄骨を折ったあげくに
結局目的を達成出来ずに現場指揮官が
責任とらされて“首ちょんぱ”なんてことは
別に珍しいことでも何でもなかったりしませんか?

「量刑の不足」に「事実誤認」で対抗するなんてのは
なんかこう、息苦しさというか
それしか戦術のとりようがなかったような物を感じるのですが
いかがでしょうか。

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143185窮余の策でしょうね「ものつくり屋」 5/31-17:27
記事番号143181へのコメント
こんにちは、dukeマシラさん。

>「量刑の不足」に「事実誤認」で対抗するなんてのは
>なんかこう、息苦しさというか
>それしか戦術のとりようがなかったような物を感じるのですが
>いかがでしょうか。

そうなんです、自分の前の弁護士が自分とは違うスタンスだったとし
ても、結果としてその経緯は引き継ぐ訳ですからね。

本来なら、「反省の態度を示しなさい」と説諭して反省の態度をとら
せて、「1審2審の言うように、『矯正の可能性はあり』です、検察
の求める「量刑不当」にはあたりません」とやる程度のものなんです。

ただ、なにせ「被告人」が「事実と向き合おうとしない性格の偏りが
みられる」訳でして、そういう説諭に素直に応じてくれる訳でもない。

ただね、なんていうか、検察の強気の「量刑不当」にも、しっくりし
ない面は私も感じるのね。検察の本音は「この機会に凶悪な犯罪なら
若くて、初犯でも死刑があり得る事を示して抑止力を上げたい」なん
だと思うし、その部分は共感もする。でも検察の強気を後押ししてい
るのは、そういう「抑止力向上」の意識よりも、「被害者が可哀想だ
ろ、しっかりと報復しろ」という「社会による報復意識」なのね。被
害者の遺族がそう思うのは分かる。ただ、マスコミをはじめとする多
くが、そういう情緒判断で厳罰を求めることに司法が迎合するのは、
司法の将来のために良いことでは無いと思うのです。検察はそういう
部分の切り分け無しに「厳罰化」の面で一致するからと言うだけで、
厳罰化を進めようとしている感じも受ける訳ね。

そういう、社会が情緒的に厳罰化を求める動きから司法の健全性を守
る事を求めるなら、まあ検察の「量刑不当」に対抗しなくては成らな
いのだけど、被告人は反省の態度を取ってくれるわけでもない。

ここからはフィクションだけどね、そういう「打つ手のなさ」に悶々
として「せめて前の弁護士が事実誤認の控訴をしていてくれたらな」
とか思いながら記録を読んだのだと思います。そうすると、被告人の
「その場の思いつきの様な言い訳」が、単発的にしか審理されたりし
ていない事に気がついた訳です。「計画的か」「いえ計画していませ
ん」「工事と偽って家に入ったんだろ」「・・・」、計画的と認定。
「暴行目的なんだな」「暴行する気はなかったんです」「じゃあ何が
したかったんだ」「「話がしたかっただけです。甘えてみたかったと
いうか」「嘘を付け」「・・・」、暴行目的によりと認定。という具
合にね。そして、そういう「思いつき的な言い訳」を順番に並べてみ
たら、まあ、信じられるものではないけど、それなりに話としては整
合性のある話ができあがった訳ね。さらにいうと1審で見落とされて
いた(?)「馬乗りになり首を絞め」とは首についた手の向きが違う
事にも気がついた訳です。でもって、「こういう反論そのものを全体
としては審理されていませんよね、審理してください」と提出した。
という所だろうと思うんですね。それで勝てるとは思わないけど、少
なくとも弁護士として何もしないよりはましだからね。

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143290Re:窮余の策でしょうねゆき 6/4-12:15
記事番号143185へのコメント
「ものつくり屋」さんは No.143185「窮余の策でしょうね」で書きました。

「ものつくり屋」さんとdukeマシラさんのどちらにつけようか迷ったのです
が、二つをあわせて読んで見て感じたことなので「ものつくり屋」さんにつ
けておきます。

今回の弁護士さんが弁護士としての使命というか役割をまっとうするのにも
のすごく大変そうなのは私にも理解できたのですが、だからといって1審・
2審の弁護士さんたちの弁護方針が間違っていたとも、無能であったともど
うしても思えないのです。
というのも、ものすごくまっとうなやり方であり、このような事件の情状酌
量による減刑を求めるやり方として王道といえるような気がするからです。

被告人が事実向き合おうとしない性格ならば根気よくそれを向き合わせるよ
うに説諭しなければならないし、その説諭の過程そのものが社会に戻すため
の性格矯正の役割の第一歩を果たしていると思うからです。
かといって被告人の利益のために反省してもないものを演技させてはいけな
いし、演技するように指導することも弁護士として間違っていると感じてし
まいます。
罪に向き合わせて、その上で自分の罪の重さを自覚させ、反省に気持ちを向
かわせる。
それ自体はものすごくまっとうであると思います。
それに応じない被告なのだから、相当大変な作業であったろうと思います
が。
でも応じようとしない性格だからと言って1審・2審の段階で早々にその方針
に見切りをつけて、「じゃあ何かスペシャルな裏技を考え出そう」とするの
は社会に戻す性格矯正の第一歩であるという観点から間違った考え方だと感
じます。(そんなことする弁護士はいないかもしれませんし、少なくとも今
現在はそんなことを許すような制度ではないのかもしれませんが、その辺の
事情は私にはよくわかっていません)

そして今回の弁護士さんがどうにも打つ手がなくて、そういうやり方をした
こと自体はきっと弁護士としての仕事をまっとうするためなのだろうなあと
は思うのですが、だからといってそいうやり方で減刑を勝ち取ることが正し
いことかよろしくないこと(やり方がうまい・まずいの問題ではなく)かと
いえば、私個人の考え方としてはあんまりよろしいやり方ではないと思いま
す(すいません。素人のたわごとなのですが。)
というのも、性格の矯正の可能性があるから減刑されるならばそれは無期懲
役でいいのだろうし、被害者遺族の気持ちはやり切れませんがそこは社会が
昇華させてあげてフォローしていくしかないのだと思います(たとえば凶悪
犯罪を未然に減らす方法を真剣に考える。性格に偏りのある青少年たちの性
格を健全に戻せるような健全な社会を作り上げるなど)
けれど、ほんとは性格の矯正の可能性が限りなく0に近いにもかかわらず、
殺意を否定する主張を差し出して「事実誤認があったから減刑しろ」みたい
な感じ(どうにも私のような素人にはこの辺が何がどう作用して減刑になる
のかさっぱり分からないのですが・・・)で減刑するとしたら、それはなんだか
ちょっと本来の性格の矯正の可能性があるから更生の機会を与えるという刑
法の考え方に反するやり方のように感じてしまうからです。(でもこの感じ
方も素人のたわごとの域を出てないかもしれません)
といっても、弁護士が弁護士としての仕事をまっとうするためにはそんなや
りかたでもやらねばならないとなるのも分かるような気はしますが・・・。

また長くなってしまったのでここできります。

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143291続きです。ゆき 6/4-12:15
記事番号143185へのコメント
「ものつくり屋」さんは No.143185「窮余の策でしょうね」で書きました。

1審・2審の弁護士さんがどのような方だったのか、どのように思って仕事
していたかは分かりませんが、「ものつくり屋」さんのおっしゃるように量
刑の相場からすると無期懲役が妥当であったのだから、その王道でやってい
こうすることは何も間違った判断であったとは思えませんし、うまいかへた
かなんていう小手先の話ではなく、正しいか間違っているかでいえば、正し
いやり方であったと思います。
その相場を覆すほどの被告の性格偏りが合ったのか、それとも何かほかにあ
るのかわかりませんが、1審・2審の判決を見直す方向に最高裁が動いたこ
とは経験をつんだ弁護士さんであるほど予測もできなかった事態だったので
は?と思います。
そういうところに追い込まれて今回の弁護士さんがそういうやり方で減刑を
狙ったのは相当苦しい立場であったろうとは思いますが、やり方としてはど
うにも「あんまり使って欲しいやり方ではないなあ」という感想を抱いてし
まうのです。
そして、そういう王道のやり方で矯正の兆しが見られないのならば、私の中
ではそれはやはり被告の年齢を考えると冷酷ですが、死刑が妥当だと言う結
論になってしまうのです・・・。
わたしの感じ方が間違っているのかもしれませんし、理解したつもりになっ
て根本的なところで理解できてないからそう感じるのかもしれませんが。

頓珍漢なことをいっていたらすみませんでした。
何か間違っているところがあったらぜひご指摘ください。

量刑の相場と言う考え方のと裁判員制度の関係の方はもう少し考えて見ま
す。

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143178「ものつくり屋さん」へゆき 5/31-11:56
記事番号143165へのコメント
ものつくり屋さん、お返事ありがとうございました。

「あなたがあいた口がふさがらなかったからといって裁判官もあいた口がふ
さがらなくてはならないと思う理由を述べなさい」
とのことですが、そもそもあの一文はあくまで私の感想でしかなく、その感
想を一応私の基本的なスタンスを皆様にはかってもらう目安としてつけたと
いう程度のものでしかありませんでした。
私はそもそもこの事件については被告には死刑が適当だとも無期懲役が適当
だとも自分の中ではまだ判断できかねてますので、余計だったのかもしれま
せんが私個人の感想をつけてしまったのです。

私は裁判官に限らず、『私がびっくりしたから他の人もびっくりするはず
だ』とも思ってませんし、まして「私がびっくりすることは他の人もびっく
りしなければならない」とも思っていません。
なので、「あなたがビックリしたからといって裁判官もびっくりしなければ
ならない理由を述べよ」といわれても、それ自体が私にない発想でしたし、
二つをイコールで結びつけることがあるのだと思ってもいなかったので『そ
んな理由はどこにもありません』としかお返事の仕様が無いのです。。。
申し訳ありません。
きっと私の文章全体として「ものつくり屋」さんに『私がビックリしたこと
は裁判官もビックリしなければならない』と感じさせるものがあったのでし
ょうね。
確かに普通はイコールで結びつけられても仕方の無いことなのかもしれませ
んね。

ただ、これは直接のお返事になっていないような気がしますし、ものつくり
屋さんの質問の意図や考え方に適合していないのかもしれませんが、私は裁
判官には『私がびっくり仰天したからといって、裁判官のような人を裁くプ
ロが簡単にビックリ仰天されちゃ適わないよね』と思っています。
またそれは裁判官に限らず検事もそうですし、弁護士に対してもそのような
気持ちを持っています。
なのでどんなに整合性が無いと思われる主張が出てきても冷静に対処して欲
しいと思ってますし、またその意味で日本の裁判制度を信頼しています。
なぜならときどき耳に入ってくる判決文は冷静で整合性のある筋の通ったも
のばかりだからです。
もっとも国の賠償がらみの判決についてはいまいち納得できかねることも多
いのですが・・・(この件にはまったく関係ありませんね、すみません。また私
が納得できないからといっても判決文の内容それ自体はそれなりに整合性も
あり筋の通ったものではあると思います)

また「反射的に怒りを抱いた」の部分にいたっては裁判官や検事や弁護士が
そんなに感情的なんてなんて恐ろしいことだと思います。
実際の個として感情はおいておいても、裁判の過程と裁決においてはそのよ
うな感情の一切を排除して欲しいとも思っています。

「ものつくり屋」さんのおっしゃるとおり、実際の裁判では珍しい主張では
ないのでしょう。
でも、私にとってはやはり初めてふれる整合性の無さだったため、初めて聞
いたときには頭の中に呆れとともに「???」が飛び交ってしまったのだと
思いますしあいた口がふさがらなくなったのだと思います。
「ものつくり屋」さんのレスは目を通していますので(見落としもあるかと
思いますが)、わずらわしければ重複の内容などはレス番号などの提示と必
要部分の引用などで説明を省いていただいてもけっこうです。
なんだか、重複の説明で煩わせるのも申し訳ない気がします・・・。
まあ、私が全然理解できていないと思われたのだと思いますし、きっと理解
し切れていないのだろうとも思うのですが。

私の返事がずれていたら申し訳ありません。

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143179Re:「ものつくり屋さん」へ酔うぞ 5/31-12:18
記事番号143178へのコメント
ゆきさんは No.143178「「ものつくり屋さん」へ」で書きました。

>また「反射的に怒りを抱いた」の部分にいたっては裁判官や検事や弁護士が
>そんなに感情的なんてなんて恐ろしいことだと思います。
>実際の個として感情はおいておいても、裁判の過程と裁決においてはそのよ
>うな感情の一切を排除して欲しいとも思っています。
>
>「ものつくり屋」さんのおっしゃるとおり、実際の裁判では珍しい主張では
>ないのでしょう。
>でも、私にとってはやはり初めてふれる整合性の無さだったため、初めて聞
>いたときには頭の中に呆れとともに「???」が飛び交ってしまったのだと
>思いますしあいた口がふさがらなくなったのだと思います。

多くの人は実際にもめている裁判を見ることは少ないと思いますし、
たまたま背景を知らないまま傍聴しても良く分からないことも多いと思います。

そういう現実は昔から同じはずですが、今まであまり気にしないで済んでいたのは
「お上に任せる」と「以前と同じ事件、背景だ」といった経験則が有効に機能した
など色々の理由があったのでしょう。

それが、社会が急速に変化して「お上に任せたままではダメだ」となって
裁判員制度が出来たりするものだから、庶民も「裁判とは何ぞや?」と関心を示す
ようになったのが今の時代なのでしょう。

多分「庶民の怒りとしてわぁ〜、裁判官のぉ〜」とか言っていられる時代では
無くなったから「庶民も裁判官並みに冷静に事件を考えないといけない」
ということになって(だって裁判員になったら冷静には必須)
この摩擦が起きているのが今という時代なのでしょう。

いきなり、庶民感覚から裁判官並みというのは無理でしょうから、しばらくは
このような議論は続けることが大事だと思います。

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143200酔うぞさんへ、裁判員制度というものゆき 6/1-11:36
記事番号143179へのコメント
酔うぞさんは No.143179「Re:「ものつくり屋さん」へ」で書きました。

レスありがとうございます。

私は裁判員制度の導入が怖いのです。
私は法に理解が深い方ではないですし、裁判というものはときどきニュースで耳に
するもの、また、自分の興味ある分野の裁判の判決文をネットで探して見てみる程
度の知識しかありません。
そして、この程度の理解や知識しかないということは特に珍しいことではないよう
に思います。(知らなくて当たり前だと思っているというわけではなく、知らない
人間も世の中には相当数いるのだと思うのです)

また、私は自分の理性と言うものにそれほど自信がありません。
いえ、日常生活を送る分には理性に自信がないと思ったことはないのですが・・・。
(自分の理性のあるなしを考えたこともなく理性がないと言われたことも一度もな
いので・・・。ただ本人にはなかなか指摘できない人のほうが多かろうと思っていま
す)
裁判員という職務(という言葉は不適当でしょうか?)をできるかどうかという意
味で自信がないのです。

裁判はお上に任せておけばいいというのは、私の中には間違いなくありました。
裁判官に対する不信任の意志を提示する機会があれば十分だとも・・・。
裁判中よりは、立法などの審議の方にはもっと一般国民が深く考え、深くかかわれ
る制度を設けて欲しい気はするのですが、こと裁判について言えばプロに任せない
と冤罪が急増化したり、冤罪でこそなくても、それこそ量刑不当な判決(最初は量
刑が不当に重いケースが増えそうですね。それが落ち着いたら今度はその反動で軽
いケースが増えたりしそうな気もしますが・・・)があふれかえってしまいそうな気が
するのです。

そんなわけで、私の中には今裁判に関する「なぜ?なに?」が頭を飛び交ってしま
っているのです。

なんだか長くなってしまい投稿し切れないようなので、ここで分けますね。

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143201続きですゆき 6/1-11:38
記事番号143179へのコメント
酔うぞさんは No.143179「Re:「ものつくり屋さん」へ」で書きました。

今回の事件については私は本当にまったく判断が下せません。
死刑という刑が適当かと聞かれるとなんとも言えないし難しい判断だと思うのです
が、でも、「性格の偏りが固定しているかどうか?」という死刑の分かれ目になる
質問をされてしまうと、ものつくり屋さん宛に書いたように「この被告の性格はも
う固定しているのでは?」と思ってしまいます。
また、もし日本に死刑と無期懲役の間に終身刑と言うものがあるならばそれが一番
適当な気がします。(あくまで気がするだけで気のせいかもしれません)
現在は判断は下せなくてもどうってこともありませんし、逆に判断を下してもどう
ってこともありません。
また、現在ない刑を妥当だとすることも人には馬鹿にされるかもしれませんがそれ
だけのことです。
しょせん、そんなものは私の与太でしかないからです。
でも、もし仮に自分が裁判員になったと仮定したら判断が下せないなどとはいえ
ず、人一人の死刑と無期懲役の分かれ目となる判断を下さないといけないわけです
よね。
そして現在ない終身刑がいいと思うなんて口が裂けてもいえないわけで。。。

自分が選ばれることはないかもしれませんが、でも自分と同じような理性と理解と
知識の人が選ばれる可能性もあるとしたらなんだか不安なのです。
また、理性に自信があるという一般人もそれはそれでなんだか怖いのです。
自分に自信がある方の中には、立ち止まって「自分の判断は正しいか否か?」を自
分に問いかける作業を怠る方もいるからです。(これは私の経験則です。ほかの方
の経験則に当てはまるかは分かりませんが。)

また、今こうして議論を読んでいると頭が忙しくあっちこっちの立場にうつろって
余計にスタンスを確定できなくなります。
そして、自分もその中に飛び込んでみると、今度は忙しく頭をうつろわせることが
できなくって、まずは検察の立場はどうなんだろう?とか、次に裁判官の立場はど
うなんだろう?とか、そして弁護士の立場どうなんだろう?という風に、一つ一つ
のことについてじっくり考えてしまいなかなか考えが前に進みません。
なので、犯罪抑止などの記事については頭がまたよそに流れそうでなかなか目を通
すことができなくて・・・。すみません。

そして、そんな風な頭なもので、せっかくレスいただいても、ちょっと考える時間
をいただかないと答えられないこともあったりで・・・。
ただ、私の投稿の大きなの部分で誤解があるような気がすると感じた部分について
はついつい早めレスしてしまったのですが・・・。(私は誤解されてる気がすると感じ
ましたが誤解されているのではなく本当に私がそのように誤解している可能性もも
ちろんありますが)

>いきなり、庶民感覚から裁判官並みというのは無理でしょうから、しばらくは
>このような議論は続けることが大事だと思います。

という酔うぞさんのお言葉に甘えて、酔うぞさんの裁判員制度の導入についてのお
考えなどよかったらお聞かせいただいてもいいでしょうか?



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143204私がレスするべきで無いかも知れないけど「ものつくり屋」 6/1-14:26
記事番号143201へのコメント
こんにちは、ゆきさん。

>という酔うぞさんのお言葉に甘えて、酔うぞさんの裁判員制度の導入についてのお
>考えなどよかったらお聞かせいただいてもいいでしょうか?

本来、酔うぞさんへの質問なので、私がレスすべきては無いのかも知れませんが
なんとなく、裁判官の下す判断と庶民の下す判断に「大きな差」があるという前
提があるように思えるのです。でもって、私は「裁判マニア」みたいな面があり
ますから、かなり沢山の「判決文」を読んでいる訳です。そして、たいていの判
決文に書かれている判決理由というのは、むしろ日常的に皆さんが感じられる「
こうだよね」に則している気がするわけです。

もちろん言葉は小難しかったりする訳ですが、その小難しいところを取り除くと
普通の人が「こういう話ならこうだよね」となるのと何一つ違わない気がする訳
です。むしろ、えん罪事件の時の裁判官の判決などには「えっ、なんで?」とな
る面が多いです。そういうえん罪事件の弁護士の中には、「司法試験から裁判官
になるまでの間に、事実を認定するために何か特殊な教育を受けるかというと、
それはほとんどない。普通の人が思いこみで決めつけをするような事を裁判官も
やる」と現在の裁判官による制度を非難して多数の陪審員による方が「なれ合い
にならず、決めつけも起こりにくいのではないか」と言っている人もいます。

実は欧米の陪審員制度にも幾通りものパターンがありまして、「事実認定から量
刑まで」陪審員が決めるものもあれば、「事実認定だけ陪審員がやって、量刑は
裁判官が決める」というのもあります。その各判定に法律のプロが「大きくかか
わる」制度もあれば、法律の枠だけを示して、陪審員の合議に任せるものもあり
ます。それぞれに長所や短所があります。日本の場合は「量刑まで」ではありま
すが、その部分に法律のプロとしての裁判官がかなり関わる形になっています。

量刑についても、いろいろ小難しいことを言うわけですが、法律に定められた
刑罰の範囲内で「この人もともとそんなに悪くないんじゃない」と思って軽め
にしたり、「この人、心底悪そうだ」と思って重めにしたりするのと、裁判官
が「矯正の可能性」とかを考えて決めるのと大きな差は無いんじゃないかとい
う気がしたりするわけです。

むしろ、「悪い奴を懲らしめてやる」なんて鼻息荒く裁判員を引き受けられる
人よりも、「正しく決めなくては」と「怖がりながら」引き受けられる人が
多いことが、裁判員制度が正しく動く道かも知れません。

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143242Re:私がレスするべきで無いかも知れないけどゆき 6/2-16:23
記事番号143204へのコメント
「ものつくり屋」さんは No.143204「私がレスするべきで無いかも知れないけど」で書
きました。

いえ、「ものつくり屋」さんに答えていただいてありがたいです。
酔うぞさん個人にあててしまう形にしてしまったのは答えてくれる方を減らしてしまい
ますし、私の間違いだったかもしれませんね、すみません。

まさにその「鼻息の荒い」という部分が怖いのだと思います。
私だってテレビの前で松本ちづお被告の裁判での態度を聞くとあまりの不誠実さにもの
すごく腹立たしいし、悔しいし、率直に言って「死刑になっちまえ!」と思っていまし
た。(死刑確定が間近のようですが)
また、連続幼女誘拐殺人事件の宮崎死刑囚、小林被告にも同様の感情を持ちました。
宮崎死刑囚については事件が起こった当時はもちろん裁判の審議過程もまだ子どもだっ
たため、なにかでそんなことを考える機会(子どもなので学校かもですね。死刑は是か
非かのディスカションなどかも)があったのだと思いますが、殺された幼女を思って涙
が出るほど腹が立った覚えがあります。
宮崎死刑囚は私にとっては「世の中には自分の罪をまったく見つめようとしない人間も
いるのだから、死刑という刑には意義があるのだなあ」と少女心に思わせた最初の事件
として印象深いのですが。
テレビの前で腹立てようが、涙流そうが、鼻息荒くしようがどうということもありませ
んがそれが裁判に持ち込まれるとなると話は別です。

なぜなら、全ての被告は理性によって裁かれる権利があるとも思うのです。
また、理性によって裁かれるからこそ刑罰には意義があるのだとも思います。

ものつくり屋さんは刑罰は報復感情を満たすためのものではないとおっしゃいますし、
その通りだと思うのですが、実は私の中に「社会によって理性で裁かれ死刑という刑を
確定された」ということは、それだけで心の中の不合理感情を昇華させてくれるので
す。
そしてその昇華されたと感じるその気持ちは報復感情と似たようなものの気もするので
すが。
ですが、これが「あいつは許せない。絶対に死刑以外は認めるものか」というような感
情で裁かれたとしたら、死刑という結果は一緒でもなにやら「死刑という刑に意味が本
当にあるのだろうか?」と思わされてしまうのです。自分でも矛盾している気がします
が。

確かにものつくり屋さんのおっしゃるとおり、感情によって下される判断も理性によっ
て下される判断も判断自体に大きな差異はないものかもしれませんが、私には感情によ
って裁かれることは恐ろしいことだと感じます。
なぜなら感情はそのときそのときで揺れるものですし、揺れ幅も大きいからです。
だから、感情によって下された判断になってしまうと「死刑に本当に意味があるのだろ
うか?」となってしまうのかもしれません。

また長くなってしまったのでここでいったん切ります。

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143244続きです。ゆき 6/2-16:25
記事番号143204へのコメント
「ものつくり屋」さんは No.143204「私がレスするべきで無いかも知れないけど」で書
きました。

また、裁判という理性しかない苛酷な環境というものにさらされていることは、なんと
なく、死刑がかかっているような被告にとっては人間が人間としてあるための最後のチ
ャンスの場な気がします。それがたとえ死刑以外には考えられそうもない凶悪犯であっ
てもです。
その最後のチャンスに感情をさしはさむことになるとしたらそれはどうなのだろう?と
いうことも考えましたし。

また、判断に大きな差異がないとおっしゃるのですが、差異がないのであればそもそも
裁判員制度を導入する意味がどこにあるのだろう?とも思います。

そしてなんだかんだいいながらも私がそれなりに裁判官・検事・弁護士の理性を信頼し
ているのは彼らがプロであるということによるのだと思います。
どんな仕事であってもプロというものは自分の仕事については理性を下にしなければな
らないというプロ根性というのでしょうか、そういうものを信頼しているのだと思いま
す。
なぜなら私も仕事については個人の感情は極力さしはさまないことがプロであると思っ
て仕事をするからです。
でも、裁判員はプロではない。
そんな中途半端な立場で裁判にかかわるの?というのがなんだか違和感が大きすぎるの
です。
また世の中には自分自身がたとえ間接的でも人の生死を決めるなんてことに恐怖を覚え
したくないという人間もいると思います。
そういう人に無理やりやらせるのは正しいことなのかとか、そういう人の中にはどんな
事件でもとりあえず自分は死刑は反対を唱えようという方向に流される人もいるので
は?とかそれはもういろいろなことを考えてしまい、ますます裁判員制度の意義が分か
らなくなってしまうのです。

なんだか、またせっかくの「ものつくり屋」さんのレスの内容からまた一歩も二歩も
(もっとかもしれません)後戻りさせるような疑問をぶつけてしまうことになって申し
訳ないのですが。
私にはどうにも一度後ろを振り返ってみないことには先に進めない性質があるのかもし
れません。
呆れられたらすみませんでした。

そしていつもいつも簡潔にまとめることができずにすみません。

酔うぞさんもレスありがとうございました。
ゆっくり考える時間をください。

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143250裁判を社会に近づけるという意義「ものつくり屋」 6/2-18:04
記事番号143244へのコメント
こんにちは、ゆきさん。

>また、判断に大きな差異がないとおっしゃるのですが、差異がないのであればそもそも
>裁判員制度を導入する意味がどこにあるのだろう?とも思います。
>
>でも、裁判員はプロではない。
>そんな中途半端な立場で裁判にかかわるの?というのがなんだか違和感が大きすぎるの
>です。
>>そういう人に無理やりやらせるのは正しいことなのかとか、そういう人の中にはどん

>事件でもとりあえず自分は死刑は反対を唱えようという方向に流される人もいるので
>は?とかそれはもういろいろなことを考えてしまい、ますます裁判員制度の意義が分か
>らなくなってしまうのです。

或る意味で、こういういろんな考え方が出てくる事に意味があるんだろうと思い
ます。私は技術屋です。そして日常的に「当たり前」に小難しげな機械を使いこ
なしますね。たまに新人が研修とかに来て、私のやり方を見て、その後、私に教
わりながら機械を使います。でもって、「なんでそうするんですか?」とか「こ
の部分は、こう間違えそうで怖いですね」とか言われることで、「これは、こい
う目的だよ」と説明する訳ですが、実は、日頃は「何気なく当然の様に」やって
いる作業でして、目的なんかは頭に浮かばなくなっている事に気がついたりする
んですね。「間違えそうで怖い」と言われて、「確かに間違えそうだな、自分も
気を付けよう」と思うこともあります。

私は法曹関係者では無いけど、マニアとして、沢山の判決文を読んでしまうと「
量刑の相場」という概念が染みつく面もあるわけです。「凶悪な犯行だね、で、
犯人は犯行時18歳、初犯ね」で自然と「無期懲役が相当かな」なんてね。そう
いう意味では、なんだかレジ打ちして、「凶悪さは120点、年齢による情状酌
量マイナス12点、初犯による酌量マイナス10点、しめて98点だから無期懲
役」なんてね(書いてて自分で情けなくなるけど、それに近い感覚があるんです
よ)。感情的ではなくても、逆にこんな「量刑の相場」で判決されるのも問題じ
ゃないですか?或る意味でそれを避けるという価値は裁判員制度に有るんじゃな
いかな?

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143319Re:裁判を社会に近づけるという意義ゆき 6/6-11:57
記事番号143250へのコメント
「ものつくり屋」さんは No.143250「裁判を社会に近づけるという意義」で書きました。

そういう量刑の相場と言う考え方は確かにちょっと機械的に感じますね。
機械的なのがいいのか、悪いのか・・・。
一番いいのはそのバランスが取れることなのでしょうが、どうにも感情が入ってくると感情の
ほうがどうしても勝ちがちになるのが人間なのも確かですよね。
難しいですね。

でも、裁判を社会に近づけると言うことは確かに大切なことかもしれません。
多くの人は事件は犯人が逮捕されればおしまいとなってしまう人が多く、逮捕された時点から
事件は速やかに風化していきます。
そして、その風化してしまうということは、「何故そのような犯罪が生まれたのか?」という
ことを社会がまともに考えないということに結びつくわけですし。
防犯の意識は高まりましたが、犯罪を起こすその背景というものをもっと身近に真剣に考えて
いくことも大切なことなのでしょうね、きっと。
裁判員制度の導入により、いやでも事件の背景なども考えていかねばならず、そのような人格
を生み出す社会の病理というものについて考えるように促せれば意義はあるような気もしてき
ました。
そのためには感情の暴走を抑えていくやり方を考えていかないといけないようにおもいます。

こちらで模擬的に一つの事件を掘り下げて考え、今まで「ものつくり屋」さんや酔うぞさん、
そのほかの皆様にもお付き合いいただいたおかげでいろいろと勉強になりましたし、頭も整理
できて来ました。
裁判員制度の導入を知ったときに感じた『え?そんなの怖いな』と感じたその部分の正体も自
分の中で整理できましたし。
いまだ裁判員制度の導入には懐疑的なのは変わりませんが、懐疑的なりに考えていくべき課題
がわかったのでありがたかったです。

あまりお邪魔するのも悪いですし、この辺で失礼します。
ありがとうございました。


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143320有機性のある量刑「ものつくり屋」 6/6-12:38
記事番号143319へのコメント
こんにちは、ゆきさん。

>そういう量刑の相場と言う考え方は確かにちょっと機械的に感じますね。
>機械的なのがいいのか、悪いのか・・・。

なんていうかな、量刑そのものは現在それほど「狂っている」とは思っていないのね。
少し甘くなっているかも知れないけどね。ただ、私が恐れるのは「無機的な量刑」な
りかねないんですよ。

少し例をいうと、例えば内職商法の経営者が「詐欺罪」で裁判になったとするでしょ。
30代の被告人で初犯で、でもって検事が「懲役5年の求刑」なんてね。で、裁判の
最初から罪を認めて、全容の解明にも協力的なんてときに、私なんかは「2年から3
年の間、執行猶予が4年から5年つくな」と思ってしまう訳です。それが、自分自身
で「とても嫌」なんですよ。そういう無機的な「量刑」が「良くない」と気がついた
のは、そういう詐欺事件の被害者の方と掲示板で話をしていてなんだけどね。

なんていうか、被害者の方にとって「家計が苦しい」という思いにつけ込んで、教材
をローンとかも組んで売りつけられて、もっと苦しくされた訳だから、「刑務所に入
ってしまえ!」の思いはとても強くあるのね。だから話をしていて上で言った量刑の
予想なんてとても言い出せない(笑)。

でもって、実際に判決が下ると予想通りなのね。懲役3年執行猶予5年なんてね。で
もって、執行猶予がついた事を怒られている被害者の人をなだめていたら、「裁判で
弁護側の証人で被告人の親御さんが話された時にはホロリとした」なんて話になって
ね。もう、かなりお歳なのに、老後のための積み立てとか取り崩して被害弁済にあて
てね、「息子は悪いことをいたしました。親として育て方に問題があったかも知れま
せん。ただ、本人も反省していますし、親としてもこれからずっと反省させますので
なにとぞ寛大なご処置を」みたいな陳述になるのが普通だけどね。腹立ちが収まらな
い被害者にしても、その陳述の時だけは、「この親のためにも、心から反省して、ま
ともに成って欲しい」と思う時なんですよね。

なんていうかな、「懲役3年執行猶予5年」が正しい正しくないじゃあないのね。私
が裁判の概要を知っただけで思い浮かべる「懲役3年執行猶予5年」と「被害者の気
持ち」「被告人の親の気持ち」それらを全て目の前で見て、そのぶつかり合う感情を
きちんと把握しての「懲役3年執行猶予5年」は同じ量刑でも違うと思うのね。

裁判官がそういう「感情」を忘れているとは思わないけど、でもね、判決を下すわけ
でも無い私でさえ、無機的になりやすいのね。毎日仕事で裁判をする裁判官の心にも
私と同じような「レジ打ち」型の無機的な量刑判断は忍び込むと思うのですよ。だか
らね、裁判員というフレッシュな感情が必要なんだろうと思うんです。

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143260Re:続きです。酔うぞ 6/3-02:25
記事番号143244へのコメント
ゆきさんは No.143244「続きです。」で書きました。

>また、裁判という理性しかない苛酷な環境というものにさらされていることは、なんと
>なく、死刑がかかっているような被告にとっては人間が人間としてあるための最後のチ
>ャンスの場な気がします。それがたとえ死刑以外には考えられそうもない凶悪犯であっ
>てもです。
>その最後のチャンスに感情をさしはさむことになるとしたらそれはどうなのだろう?と
>いうことも考えましたし。
>
>また、判断に大きな差異がないとおっしゃるのですが、差異がないのであればそもそも
>裁判員制度を導入する意味がどこにあるのだろう?とも思います。
>
>そしてなんだかんだいいながらも私がそれなりに裁判官・検事・弁護士の理性を信頼し
>ているのは彼らがプロであるということによるのだと思います。
>どんな仕事であってもプロというものは自分の仕事については理性を下にしなければな
>らないというプロ根性というのでしょうか、そういうものを信頼しているのだと思いま
>す。
>なぜなら私も仕事については個人の感情は極力さしはさまないことがプロであると思っ
>て仕事をするからです。
>でも、裁判員はプロではない。
>そんな中途半端な立場で裁判にかかわるの?というのがなんだか違和感が大きすぎるの
>です。

裁判員は裁判官と同列ですから、裁判官が決めることが出来る範囲から飛び出すことは
出来ません。
じゃあ、裁判官は自由勝手に判決を出しているのか?というと結構制約があります。

結局のところ「プロだと説明不要で判決についてのモノサシを持っている」といった
ところが、裁判官と裁判員の違いになりそうです。
少なくとも、モノサシについては丁寧に説明があることになっているので
裁判員がモノサシが分からないままで、判決に至るということは無いかと思います。

裁判官や検察官が個人の感情を差し挟まないというのがどういう意味なのか
ちょっと測りかねるのですが、日本の判決はけっこう裁判官の感情が反映していますよ。
少なくとも、実行された犯罪と刑罰が直結しているものではありません。
この直結していない、つまりは判決の味付け(?)の部分が裁判官の感情の反映であり
裁判官や検察官、さらには裁判員にも感情のおもむくままに法律に決められている枠を
飛び出したり、判決の相場から大幅に外れて判決は好ましくない。
といったところでしょう。

>また世の中には自分自身がたとえ間接的でも人の生死を決めるなんてことに恐怖を覚え
>したくないという人間もいると思います。
>そういう人に無理やりやらせるのは正しいことなのかとか、そういう人の中にはどんな
>事件でもとりあえず自分は死刑は反対を唱えようという方向に流される人もいるので
>は?とかそれはもういろいろなことを考えてしまい、ますます裁判員制度の意義が分か
>らなくなってしまうのです。

これもちょっと問題で、死刑だと考えちゃうでしょうが、死刑ではないのなら
手軽に判断して良いのか?となり「それはあり得ない」となるはずです。
死刑に注目してしまうと、「裁判員裁判では死刑判決が出る可能性のある事件は避ける」
なんてことになるかもしれません。
これはこれでヘンです。

わたしは裁判員制度に賛成で、アメリカ式の陪審員のようにもっと幅広く取り入れても
良いだろうと考えています。
その大きな理由は裁判官がけっこうトンチンカンな判決を書いているからで
これは裁判官の能力不足であるのだから、民間人が手伝うしかない。
と考えています。

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143293Re:続きです。ゆき 6/4-12:37
記事番号143260へのコメント
酔うぞさんは No.143260「Re:続きです。」で書きました。

その、アメリカの陪審員制度というものに私はあまりいいイメージがありません。
どうにも感情に流されがちな印象があるのです。
だから日本での裁判員制度の施行に抵抗があるのかもしれません。
もっともアメリカの陪審員制度というものをイメージでしか捉えておらず、ときどき耳に入
ってくるような驚きの判決(驚きだから私の耳にも入ってくるわけですしね。そして驚きは
しますが内容はすぐに忘れてしまいます)で一部を捉えて全体像としている可能性ももちろ
ん大きいのですが。
でも、どっちにしろアメリカはアメリカですし、どうやらこの制度はアメリカを参考にして
いると言うことでもなさそうですが。

日本の裁判官の判決に感情が反映されているというのはたとえば「被告には生い立ちに同情
すべき点も多く〜」みたいな部分をさすのでしょうか?(違っていたらすみません)
確かにそれは感情の反映ではありますが、その部分とて私の中には「プロとして同情すべき
ことに同情する」というものがあるように思うところもあります。

というのも、たとえば私は仕事に就くときはほとんどが接客業なのですが、接客の仕事をし
ていると、お客さんがクレームを言いに来て怒り狂っているならばプロとして自分のミスで
はなかろうとなんであろうと心から申し訳なく思いながら謝らなければなりません。
仕事から離れてみると、初対面で私のミスでもないのに顔見るなり怒鳴られるなんてなんだ
かな〜なんて思うこともありますが、少なくともそのお客さんに接している間はそのお客さ
んが求めていることを真剣に考え「謝れ」と言われれば怒っている原因が分からないうちで
も心から謝り、クレームを気が済むまで言ってもらい、お客さんの怒りの感情を昇華させて
その上で「さて、そういうことならどうしたらいいのか考えましょうね。私もどうすればい
いのか一緒に考えますから」と言うところに持っていったりするのです。
そして、この「心から謝る」の部分はプロだからこそ心から謝らないといけない状況があれ
ば自分のミスじゃなかろうが何を怒っているのか最初は分からなかろうが(本人がいないけ
れば出せませんし、接客した本人じゃない人がそういう接客をしたほうが丸く収まりまる事
の方が多いですしね)心から申し訳なく思いながら謝るわけです。
そういう感情を持つべきときに持たねばならないという部分をさして「裁判官の理性」と
「プロ根性」と言ったつもりだったのです。
最初のレスも分かりづらかったのでしょうが、この例えも分かりづらかったらすみません。
接客の仕事をしたことのない方にはイメージしづらそうな気もしますし。

そして、犯罪が身勝手かつ凶悪であったときに、「ちょっと待てよ、でも生い立ちなどには
同情すべきところもあるんだよな、確かに」と考えるその「ちょっと待った」と言う部分も
理性ですし。
その「ちょっと待った」が素人にはなかなか持ちづらいような気がします。
その「ちょっと待った、同情すべき点は同情しなきゃね」という部分を裁判員に持たせると
言うことがどんな風になされるのだろうか?と思うのです。
それこそ、量刑の相場と言う考え方でやらせるのでしょうか?
確かそういう部分も情状酌量で減刑を検討されることもあるのですよね?
逆に同情はするが減刑には当たらないとされる場合もあるようですが。

>これもちょっと問題で、死刑だと考えちゃうでしょうが、死刑ではないのなら
>手軽に判断して良いのか?となり「それはあり得ない」となるはずです。
>死刑に注目してしまうと、「裁判員裁判では死刑判決が出る可能性のある事件は避ける」
>なんてことになるかもしれません。
>これはこれでヘンです。

あとここの部分がわたしに理解力がないのでしょうがよく理解できませんでした。
でも、この事件は裁判員とやってこの事件は職務裁判官がやってというケースバイケースみ
たいなものをやることはそれこそ裁判員制度の意義を根底から覆すことのような気がするの
で、裁判員制度をやるのであれば中途半端にそんなことする必要はないですし、原則として
該当事件はすべて裁判員制度にのっとってやるべきだと思います。
ただ、私は死刑か無期懲役かの判決にかかわるのは怖いなあという気持ちが多少なりともあ
り、でも、だからと言って人の命を左右するのが怖いからと言う理由だけで「無期懲役」に
票を入れるのはやってはいけないように思います。
でも、そういう理由だけで「無期懲役」に票を入れる人がいても『間違っている』と責める
こともできません。


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143296Re:続きです。酔うぞ 6/4-18:27
記事番号143293へのコメント
ゆきさんは No.143293「Re:続きです。」で書きました。

>日本の裁判官の判決に感情が反映されているというのはたとえば「被告には生い立ちに同情
>すべき点も多く〜」みたいな部分をさすのでしょうか?(違っていたらすみません)
>確かにそれは感情の反映ではありますが、その部分とて私の中には「プロとして同情すべき
>ことに同情する」というものがあるように思うところもあります。

全部ではありませんが、多くの場合は上記の通りですし
さらには「犯意の認定」という被告の考えていることに言及するのが
日本の刑法(判決)では不可避なので「犯行の動機」について
感情的な判断が無いと、無理だと言えます。
実際、この点について機械的な判決ばかり出す裁判官は批判されています。


>というのも、たとえば私は仕事に就くときはほとんどが接客業なのですが、

いえ、むしろストレートに「接客業では・・」と説明していただいて
判決でも本質は同じだ、という話の方が分かりやすいと思います。

実のことを言えば、つい最近までわたしも
「判決文で感情的な表現あってもそれは付け足しで、
判決に影響しないのだろうから、余分なことを書いているのでは?」
という考えで「何をやっているのだ?」と思っていました。

しかし、一方で横浜地裁の裁判官が「判決文が短すぎてクビ」
という話題については「説明をしない判決文はそれだけで失格だろう」
とも思っていたのです。
つまりわたし自身の中で「判決文(裁判官の仕事)はかくあるべき」
というのがフラフラしていたのですね。


モノの順序として
「わたしが裁判員になったらどう判断するのが正しいのか?」
という観点で、裁判官や検察官、弁護士といった方々の話を
勉強していく内に、先に書いた「裁判官はどうあるべきか」という
わたしがフラフラしているところが段々と落ち着いてきました。

その中で決定的に大きかったのが、わたしのブログに紹介した
「犯意の判断抜きでは刑事事件の判決は出来ない」です。


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143297Re:続きですの続きです酔うぞ 6/4-18:27
記事番号143296へのコメント
長すぎるので続きです


>同情すべきところもあるんだよな、確かに」と考えるその「ちょっと待った」と言う部分も
>理性ですし。
>その「ちょっと待った」が素人にはなかなか持ちづらいような気がします。
>その「ちょっと待った、同情すべき点は同情しなきゃね」という部分を裁判員に持たせると
>言うことがどんな風になされるのだろうか?と思うのです。
>それこそ、量刑の相場と言う考え方でやらせるのでしょうか?
>確かそういう部分も情状酌量で減刑を検討されることもあるのですよね?
>逆に同情はするが減刑には当たらないとされる場合もあるようですが。


犯意を知るためには調べると同情する可能性はおおきいでしょうね。
だから「同乗するような調査をしないで判決に至らないか?」
となると、これは不可能す。
犯罪の事実だけでは日本の刑法は罰を決定できません。
わたしはこの点は裁判員裁判ではかなり問題になるだろう
と考えています。
プロの裁判官もおそらく経験を積み重ねることで、社会とのすり合わせが
出来上がるのでしょうから、個々の裁判で集合させられる裁判員が
プロの裁判官と全く違う判定基準になってしまって、裁判官が
「あの被告の言動はウソですよ、経験的には明らかです」
とか言うことになるのかな?という心配があります。



>>これもちょっと問題で、死刑だと考えちゃうでしょうが、死刑ではないのなら
>>手軽に判断して良いのか?となり「それはあり得ない」となるはずです。
>>死刑に注目してしまうと、「裁判員裁判では死刑判決が出る可能性のある事件は避ける」
>>なんてことになるかもしれません。
>>これはこれでヘンです。
>
>あとここの部分がわたしに理解力がないのでしょうがよく理解できませんでした。
>でも、この事件は裁判員とやってこの事件は職務裁判官がやってというケースバイケースみ
>たいなものをやることはそれこそ裁判員制度の意義を根底から覆すことのような気がするの
>で、裁判員制度をやるのであれば中途半端にそんなことする必要はないですし、原則として
>該当事件はすべて裁判員制度にのっとってやるべきだと思います。

実は、わたしは裁判員裁判についてちょっと危惧を抱いているのは
「裁判員裁判にしない」がすでに決められています。
例えば暴力団の事件など裁判員に被害が及ぶとか、
極端な長期裁判になって裁判員を拘束だけない事件などが対象のようです。
この延長に「裁判員が嫌がるから」なんてのが含まれると
それは問題だろう、ということですね。

>ただ、私は死刑か無期懲役かの判決にかかわるのは怖いなあという気持ちが多少なりともあ
>り、でも、だからと言って人の命を左右するのが怖いからと言う理由だけで「無期懲役」に
>票を入れるのはやってはいけないように思います。
>でも、そういう理由だけで「無期懲役」に票を入れる人がいても『間違っている』と責める
>こともできません。


単純にこんな展開にはさすがにならないと思いますが
今までの判決と「犯意についての判断」についてバラツキが
大きくなるのだろうとな?という予想をしています。

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143303少し補足:凶悪性判断もまた基本は感情です「ものつくり屋」 6/5-08:41
記事番号143296へのコメント
こんにちは、酔うぞさん、ゆきさん。

>>日本の裁判官の判決に感情が反映されているというのはたとえば「被告には生い立ちに同情
>>すべき点も多く〜」みたいな部分をさすのでしょうか?(違っていたらすみません)

判決文に「行った行為は許し難い」とか「被害者及び遺族の無念を情はあまりある」とか
「社会に与えた衝撃の大きさを鑑みるに」とか言う部分が有るわけです。実のところ、こ
れは、裁判官が皆さんと同じく「この犯罪は凶悪で、厳罰を加えるべきだ」と感じた感情
の吐露でもあるわけですよ。或る意味で被告人に対して世間が「許し難いな〜」という情
を感じているものと同じくらい「許せない」という感情を裁判官も抱くわけですね。ただ
裁判という制度は、そういう感情の暴走をさせないシステムなんです。同時に「生い立ち
に同情すべき点も多く」なども取り上げて、「許せないな〜」と比較することが判決文に
要求される訳です。その結果として「許せないな〜」が勝れば「同情の余地はあるが、事
件の凶悪性を鑑みて厳罰とする」という場合もあるし、「事件の凶悪性そのものは厳罰に
すべきものだが、生い立ち等を考慮して矯正の可能性を考え、死刑にまではしない」とす
る場合も起こる訳ですね。つまりね、判決に示されているのは、相反する2つの感情の比
較結果だということなんです。

>実際、この点について機械的な判決ばかり出す裁判官は批判されています。

>「判決文で感情的な表現あってもそれは付け足しで、
>判決に影響しないのだろうから、余分なことを書いているのでは?」
>という考えで「何をやっているのだ?」と思っていました。
>
>しかし、一方で横浜地裁の裁判官が「判決文が短すぎてクビ」
>という話題については「説明をしない判決文はそれだけで失格だろう」
>とも思っていたのです。

なんて言いますか、事実認定の部分において「検察・弁護双方の主張のうちの信じられる
方を採用する」という事を書くとき、「なぜ自分は検察の(弁護の)言うことり方を取り
上げるか」を書かないというのは判決文として成り立たない様に、「感情面」についても
「被害者・世間の怒りは収まらない」という感情と「被告人の同情の余地」についても、
「自分は双方を比較してどちらを重いと判断した」と書かないと判決文として成り立たな
いものの様に思うわけです。

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143318Re:少し補足:凶悪性判断もまた基本は感情ですゆき 6/6-11:55
記事番号143303へのコメント
「ものつくり屋」さんは No.143303「少し補足:凶悪性判断もまた基本は感情です」で書きました。

酔うぞさん、「ものつくり屋」さん、ありがとうございます。

裁判制度は感情の暴走を許さないようになっているということは裁判員制度が始まってもそのバラン
スはキープされると言う意味ですか?
それとも、現在の裁判制度のことなのでしょうか?

裁判の公正を考えるということでいろいろな方のレスを読みましたが、私の中には少なくとも今現在
の裁判制度はおおむね公正に運営されているという認識がありました。
裁判制度などについては義務教育で習った程度ですが、「確かにそういう制度なら公正に運営できる
なあ」と思ったものです。
それに、社会的に注目度が高い事件くらいしか私は知りませんが、そういう事件の判決はたいていの
場合、「うん、妥当だな」と感じることが多いですし。
少なくとも「ええ!?そんなバカな?」と思った経験はなかったように思います。

そして、判決文の中の裁判官の「生い立ちに同情する」などの部分も、実際のところどれくらい同情
に値するのかは調べたことはありませんが、そういうことも全てあわせて考えることが裁判制度の公
正さをおおむね公正と言うところでキープしていくには大切なように感じます。
私個人が日常生活をしていくうえでは、『生い立ちに同情する点があろうとなかろうと、そんなこと
は殺人を起こす理由にはならない』と考えてますが、裁判となると『そういう人格を生んだ(育て
た)社会の責任』の部分も考慮しないといけないと言うか・・・。
その意味で、ある程度『同情するべきものは同情する』と言う部分を持つことは必要不可欠だと思い
ます。
ただ、当たり前のことですが、だからと言って自分の罪を「生い立ちのせい」とか「社会のせい」と
かに転嫁することは許されないですけど。

ただなにぶん、私自身が「何かのせいにして犯罪を犯すのは間違っている」「そんな言い訳を聞くだ
けで気分が悪くなる」と言うところが強いので、同情すべき点に同情できるかというと、できない気
がされてならないのですが・・・。
また私とは逆に過剰に同情する人もいるかも知れず、過剰に厳しいことも過剰に同情することも両方
とも感情の暴走と言えるように思います。

今の裁判制度でのおおむねの公正さを裁判員制度でもキープできるのか?
そして、どうやってキープすればいいのか?
理性にコントロールされた上での感情をどうやって一般の裁判員に持たせるのか?
その辺のあたりがなんとも難しそうな課題に感じてしまうのですが・・・。
私は自分が接客業を好んでするせいもあってか、「プロという縛りがありさえすればそういうことは
できるものだ」と思っている節があるのですが、逆に言えば、「その縛りがなかったらそんなに理性
的に感情をコントロールするなんて難しい」とも思っているので。


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143325Re:少し補足:凶悪性判断もまた基本は感情です酔うぞ 6/6-13:12
記事番号143318へのコメント
ゆきさんは No.143318「Re:少し補足:凶悪性判断もまた基本は感情です」で書きました。
>「ものつくり屋」さんは No.143303「少し補足:凶悪性判断もまた基本は感情です」で書きました。

>裁判制度は感情の暴走を許さないようになっているということは裁判員制度が始まってもそのバラン
>スはキープされると言う意味ですか?
>それとも、現在の裁判制度のことなのでしょうか?

現在の裁判制度はおおむね、感情面についてもバランスが取れていると思うし
裁判員裁判でも大きく判決が変わることは少ないだろう、と考えています。
それは裁判の仕組みによって保証されている、と言えるでしょう。


>今の裁判制度でのおおむねの公正さを裁判員制度でもキープできるのか?
>そして、どうやってキープすればいいのか?
>理性にコントロールされた上での感情をどうやって一般の裁判員に持たせるのか?
>その辺のあたりがなんとも難しそうな課題に感じてしまうのですが・・・。
>私は自分が接客業を好んでするせいもあってか、「プロという縛りがありさえすればそういうことは
>できるものだ」と思っている節があるのですが、逆に言えば、「その縛りがなかったらそんなに理性
>的に感情をコントロールするなんて難しい」とも思っているので。

え〜と「感情について」という部分にどうもすれ違いがあると思うのですが
判決では事実・犯意・感情・その他とかに分けて、その中での動きとして
見るわけで「感情面を大きく考えるから、事実を小さく見る」
なんてことは裁判とか法律以前の問題として人間社会のあり方として
とても社会的な合意は得られないでしょう。

平たく言えば「感情は感情。事実は事実。だから判決は」となるでしょう。
これが裁判員裁判によって変わるとしても、評価基準がずれるだけであって
大幅に判決が変わるとは思えない。

むしろ起こりうるのは「裁判員を納得させることが出来ないから無罪」
という検察側ミスが多くなるような気が強くします。

もう一つ、気になっているのは「裁判員裁判の選択あるいは拒否」を
被告が選択したり意見を述べたりすることが出来るのか?です。
自分にとって有利になる裁判制度を選べるというのはどうなんだ?
という疑問があります。

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143240Re:続きです酔うぞ 6/2-14:53
記事番号143201へのコメント
ゆきさんは No.143201「続きです」で書きました。
>酔うぞさんは No.143179「Re:「ものつくり屋さん」へ」で書きました。

>という酔うぞさんのお言葉に甘えて、酔うぞさんの裁判員制度の導入についてのお
>考えなどよかったらお聞かせいただいてもいいでしょうか?

遅くなりました。
ちょっと多忙なので簡単に。

裁判員制度の話が出てきたころには、わたしは積極的な推進意見でした。

ゆきさんは、おそらくは「裁判員なんて(面倒・難しい・判断したくなく)」
といった自分自身の問題として「賛成できない」といった感じかと想像しますが
わたしは「庶民として、社会として判断するべきだ」という考えなので
個人としては賛成でそれは今でも変わりません。

今の段階では、極めて判断基準が難しいことが分かってきて、
いわば「そんな難しい技術的スキルが必要じゃ裁判員制度が成り立たないだろう」
という方面が心配です。

この点については、ここに書きました。

http://youzo.cocolog-nifty.com/data/2006/05/post_5946.html
http://youzo.cocolog-nifty.com/data/2006/03/post_8607.html
http://youzo.cocolog-nifty.com/data/2006/03/post_edd5.html
http://youzo.cocolog-nifty.com/data/2006/03/post_6a65.html
http://youzo.cocolog-nifty.com/data/2006/03/post_c840.html

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143292Re:続きですゆき 6/4-12:23
記事番号143240へのコメント
酔うぞさんは No.143240「Re:続きです」で書きました。

う〜ん、「面倒くさい、難しい、考えたくない」から反対と言うわけでもないのだと自
分では思うのですが、よくわかりません。
でも、私はちょっと変わっているのかもしれませんが、「決まったことに対して覆せも
しないのに『面倒くさい、難しい、考えたくない』なんて言っても仕方ないし意味がな
い」と思ってしまうところがあるので・・・。
ただ、本当に恥ずかしい話なのですが、私はこの話題がここで出てくるまで裁判員制度
がもう施行間近であることを知らなかったのです。
あまりにも恥ずかしすぎるので言い分けさせてもらうと、あわてて調べたついでに成立
日と公布日も見てみたところちょうどその前後何ヶ月か命にかかわる大病をして入院し
ていたので、ああ、そうだったのかと自分の中では納得したのですが、恥ずかしいこと
には変わりがないですね、すみません。

そんなわけで、これはちょっと頭をきちんと裁判員制度が施行されるという現実につい
ていかせなければいけないなと言うことで、ついついご迷惑を顧みずこちらに投稿させ
てもらったわけなのです。
逆に言えば、「面倒くさい、難しい、考えたくない」ということに考えがいたらないほ
どの頭の状況なのかもしれませんね、もっとひどくてすみません。

でも言われてみれば、面倒くさいとかと言うことともちょっと違いますが、実際に施行
されたら仕事を休んでいくことになるかもしれませんし、働いている人の仕事のことな
どもきちんと考えなければいけないわけで、そこの部分の調整は難しそうですね。
それに、正社員はまだいいですが、契約社員や派遣社員、フリーターなどは休むことが
そのまま給料からその金額を引かれることを意味する場合もあり、その部分の保証がな
かったら生活が立ち行かなくなる人相当数現れそうですし。
休みはくれるでしょうが、企業が働いてない分を支払ってくれるとは思えないですし、
かといって国で保証できるお金はどこにもないでしょうし、その辺はきちんと考えてあ
るのかなあなどのことを思ってしまいました。
また正社員の方でも裁判員として仕事を休むときは有給を取らされたりしたらちょっと
(もともとの有給日数が少ない会社だったらちょっとどころじゃありませんし)辛そう
だなあと思いますし。
私が考え付く程度の問題点はもう考え付かれて検討されているのかもしれませんが、ど
うにもそういう立場の弱い人や底辺の部分の人たちの事情はいつでも置き去りにされる
傾向があるので、どうなのだろう?とも思います。
調べてもそこまでは分からなかったですし。

あとはリンク先はまだ読み込むことができていません。
リンク先の内容は勉強になりそうなのでありがたく読みこませていただきますが、こち
らに何か書くようなことでもない気がするので、その内容についてのレスはできないよ
うに思います。申し訳ありません。
ご紹介ありがとうございました。

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143180一緒に書いた話を考えて欲しいのね「ものつくり屋」 5/31-12:24
記事番号143178へのコメント
こんにちは、ゆきさん。

>「あなたがあいた口がふさがらなかったからといって裁判官もあいた口がふ
>さがらなくてはならないと思う理由を述べなさい」
>とのことですが、そもそもあの一文はあくまで私の感想でしかなく、その感
>想を一応私の基本的なスタンスを皆様にはかってもらう目安としてつけたと
>いう程度のものでしかありませんでした。

なんていうか、日頃見聞きしないものを突然見せられると「わぁ」とかいう
感想を持つのは当然なんだけど、それが、日頃自分たちの見ていない所では
普通に行われていることなのか、それとも、そこでも特別な事なのかという
事は考えて欲しいのね。

本件においては、検察が「量刑不当」で控訴した事件で弁護側が「事実誤認
」を言って「差し戻し」を求めることは「普通のこと」では無いんだけど、
そこに書かれた「事実誤認」の主張内容そのものは、別に珍しくもない話な
のね。それを、ビルの鉄骨を組むときに鳶職さんが「今にも落ちそうな所で」
作業していたりするのを見ると「危なそう」と見えても、沢山の鳶職さんが
毎日働いても、めったに事故が起きないのと同じという意味で例を書いたのね。

鳶職さんを見て「あぶなそ〜」と思うのは構わないけど、「危ないから止め
させよう」は短絡的なのね(笑)。

>ただ、これは直接のお返事になっていないような気がしますし、ものつくり
>屋さんの質問の意図や考え方に適合していないのかもしれませんが、私は裁
>判官には『私がびっくり仰天したからといって、裁判官のような人を裁くプ
>ロが簡単にビックリ仰天されちゃ適わないよね』と思っています。

その通りなんです。少なくとも死刑の可能性がありそうな刑事裁判で被告人
が荒唐無稽な言い訳をすることは珍しい事では無いんです。

>またそれは裁判官に限らず検事もそうですし、弁護士に対してもそのような
>気持ちを持っています。

でもって、弁護士がそれをそれなりの主張にまとめることも珍しくは無いん
です。他に言うことができるなら、「そんな事を言わずに、こういった方が
良いよ」はあるけど、他に無ければね。

でもって、「情状的に不利では」に対する説明としては、本件では「被告人
は反省していない」は既に1審2審で認定済みです。「罪に向き合っていな
い」については、「事実に向き合おうとしない性格の偏り」と鑑別意見書に
あり、それを1審2審とも取り上げている訳ですね。でもって、その上での
情状酌量として「その性格の偏りは固定しているとはいえない」なんです。

そういう意味では、これ以上不利にはならないと思いますよ(笑)。なんて
いうかな、びっくりされたのは当然だけど、なんとなくそのびっくりが「そ
んな荒唐無稽なことを弁護士が言うのはおかしい」となってしまいそうだっ
たからね。

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143187ものつくり屋さんへゆき 5/31-19:48
記事番号143180へのコメント
「ものつくり屋」さんは No.143180「一緒に書いた話を考えて欲しいのね」で書
きました。

ものつくり屋さん、レスありがとうございます。

>びっくりされたのは当然だけど、なんとなくそのびっくりが「そんな荒唐無稽
>なことを弁護士が言うのはおかしい」となってしまいそうだったからね。

というのは、確かにそういう気持ちはここでの議論を読み込む前はあったと思い
ます。(そんなに明確に思っていたというよりは漠然とですが)
でも、こちらでのものつくり屋さんなどの説明を読み込むうちに、弁護士が言っ
ていることはイコール弁護士の意思や考え方ではないのだよなあという、ものす
ごく基本的なことを思い出させてもらいました。

また、例としてあげた部分を考えて欲しいとのことなので、一応私なりに考えさ
せてもらいました。
が、一応まとめたのでものつくり屋さんにそれを採点してほしいという気持ちは
あるものの、書いてみてしまうとそれ以上の意味がまったくないもののような気
がしてしまったので、今回は書くのはやめておきます。

ただ、ものつくり屋さんのご意見に対してはまったく異論はありません。

そして、情状酌量の件についての私の疑問に対するお返事ありがとうございま
す。

なるほど、そもそもがこれ以上ないくらい不利なのですね・・・。
また、一審・二審で出た「その性格の偏りは固定しているとはいえない」の部分
についても、「殺意の否定」という主張が出る前に弁論を開くことを決定してい
ましたし、その主張が出る前から「固定してる」とされる可能性も十分にあった
という状況なのですね。
今さら殺意の否定をしたところで不利になるというほど不利にはならないのです
ね。。。
私が想像していた以上に至極まっとうな判断であると思います。(かといって自
分のスタンスを決めかねているのは変わらないですし、このまま死刑にすべきで
あると思っているわけでもなく、判断としてまっとうであると感じるということ
です)

それでまた新たに自分の中にわいてきた疑問として、「事件から5年が経ってい
てその間裁判という自分の罪を審議する場にずっといたにもかかわらずまったく
変化が見られない」としたら、その性格は固定している考えてもいいのではない
か?ということです。
確かに事件を起こした当時は性格は固定しているとはいえなかったかもしれない
し、判断は未来に預けるべきことだったのかもしれませんが、被告の現在の年齢
と裁判という経験をしている間中、自分の罪と向き合うべき状況に常にあったと
いうことを鑑みた場合、私のような素人だと「そのような環境にあったにもかか
わらずいまだ変化が見られないということは、性格はもう固定しちゃっているの
ではないだろうか?」などと思ってしまうのです。

こういう凶悪な少年事件の場合、裁判の情状酌量の部部分というものはあくまで
「事件を起こした当時、被告がどうであったか?」が中心なのか、それとも裁判
での過程によって判断は変化していくものなのか、その辺がいまいちよくわかっ
ていないような気がします。
ただ、大人の刑事事件であった場合は性格が固定されているかどうかが大きな分
かれ道になることは少なく事件の起こったそのときに責任能力があったかなかっ
たかが問題とされるのだと思いますが、少年事件についてはやはりその過程と時
間の経過の部分もそれなりに重視されるべきな気がするなあと言う気持ちがあり
ます。

あと、そのほかの方からいただいたレスにもゆっくりと考えてからあらためてお
返事するつもりなので(ただゆっくり考えているうちに私の疑問や意見をを代わ
りに提示してくれる様なレスが出た場合はこの限りではない気もしますが)、お
待ちいただけると幸いです。



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143202区分できないのね「ものつくり屋」 6/1-13:11
記事番号143187へのコメント
こんにちは、ゆきさん。

>こういう凶悪な少年事件の場合、裁判の情状酌量の部部分というものはあくまで
>「事件を起こした当時、被告がどうであったか?」が中心なのか、それとも裁判
>での過程によって判断は変化していくものなのか、その辺がいまいちよくわかっ
>ていないような気がします。

う〜ん。正直言って「区分できない」し「区分する必要もない」面があって
「犯行時の心の状況」を推し量ることが、その後の「矯正・更正の可能性」
と自然に結びついているのね、普通は。

なんていうかな、思春期から20歳くらいまでの間の人間は「精神的に不安
定」だというのを前提にしているわけです。私の親戚にもその時期に悪い仲
間に入ってたりしたのがいますが、今はまともで子供が大きくなりかけると
「悪い仲間にはいったらどうしよう」なんて心配していたりする訳です(笑)

そのため、その年代の人が犯した犯罪について「そういう未熟な年代だよね
」と或る程度割り引いて考えると言うことは、自然と「成熟したらまともに
なれる可能性がある」という事が含まれる訳ですね。

>ただ、大人の刑事事件であった場合は性格が固定されているかどうかが大きな分
>かれ道になることは少なく事件の起こったそのときに責任能力があったかなかっ
>たかが問題とされるのだと思いますが、少年事件についてはやはりその過程と時
>間の経過の部分もそれなりに重視されるべきな気がするなあと言う気持ちがあり
>ます。

大人の場合は、「未熟な年代だよね」という割引が無いのが、そのまま「成
熟はしているから、成熟による変化は無いよね」という意味を示す訳です。

でもって本件の場合も、情状の理由として「年齢的に未熟」「初犯」「性格
に偏り」「性格の偏りは固定していると言えない」となっているけど、それ
ぞれが別々ではなくて、上で述べた1つの事を多少視点を変えて言っている
とも言えるのね。特に後ろの2つについても青年期の「不安定さ」と独立し
て言っている訳では無くて「普通の人の不安定さより大きい」「ただ青年期
の不安定さが成熟によって解消すれば分からない」と言ってると見るべきな
のね。

本件の場合、ゆきさんが指摘されるように、本来の「不安定な年代」が裁判
の間に過ぎてしまっている訳で、そのため「犯行時に不安定な年代」という
ことを割り引くこととが、そのまま「成熟によりまともななる可能性がある」
とすると、「年月たったのに成っていないじゃないか」となる可能性が有る
訳ね。このあたり、通常は区分しない話だから、私にも判断できないです。
基本的には裁判官の考え方次第になりますね。

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143241Re:区分できないのねゆき 6/2-16:20
記事番号143202へのコメント
「ものつくり屋」さんは No.143202「区分できないのね」で書きました。

本来分ける必要がないというのは、本当にその通りだと思いました。
分ける必要がないにもかかわらず、事件当時の年齢を考えた場合、分けざるを得ない
ように思ってしまったのです。

そして、私がどうしてもこのまま死刑になるのが妥当だと言い切れないのは、ここで
「性格の偏りは固定している」よって「矯正の可能性はないものとし死刑」となって
しまうとしたら、それはそれで何か釈然としないからなのだと思います。
性格の偏りが固定したからといってそれがそのまま矯正の可能性がないのとイコール
で結ばれるとは限らず、成人の固定された性格でも矯正の可能性がある場合もあるよ
うな気がするからです。
ただ、私個人の感じ方としては、この期に及んでまだあんな荒唐無稽な主張をするよ
うでは、この被告はこの固定された性格が矯正される可能性は限りなく低いと感じて
しまいますが・・・。
かといって矯正の可能性が0とも言えない、という感じでしょうか・・・。

ものつくり屋さんが今まで相手してくださったおかげで、やっと今被告がおかれてい
る状況が私にも理解できました。
やっと、今回の弁護士さんの置かれた窮地を考えるという準備ができたような気がし
ます。
といっても、どうにもその先意義のあるレスができるかどうかがわからないのです
が・・・。

「事実誤認」の件についてはもう少しよく考えてみます。
また、ものつくり屋さんの思う方向性と違うことを考えてる気はしますが、被告の状
況を理解してみるとまたいろいろと思うところも出てきましたので・・・。